「君の名は。 Another Side:Earthbound」を読了してまた映画「君の名は。」が観たくなった(2017.09.29追記あり)

昨年大ヒットした映画「君の名は。」
とても素晴らしい作品でしたが、サイドストーリー本を読んで、もう一度映画が観たくなりました。
また一方で以前から新海誠監督のファンだったが故に感じていたモヤモヤがスッキリ晴れていきました。





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今さらですけど「君の名は。」とは

千年ぶりとなる彗星の来訪を一か月後に控えた日本。山深い田舎町に暮らす女子高校生・三葉は憂鬱な毎日を過ごしていた。
町長である父の選挙運動に、家系の神社の古き風習。小さく狭い町で、周囲の目が余計に気になる年頃だけに、都会への憧れを強くするばかり。

「来世は東京のイケメン男子にしてくださーい!!!」

そんなある日、自分が男の子になる夢を見る。見覚えのない部屋、見知らぬ友人、目の前に広がるのは東京の街並み。
念願だった都会での生活を思いっきり満喫する三葉。一方、東京で暮らす男子高校生、瀧も、奇妙な夢を見た。
行ったこともない山奥の町で、自分が女子高校生になっているのだ。繰り返される不思議な夢。そして、明らかに抜け落ちている、記憶と時間。二人は気付く。

「私/俺たち、入れ替わってる!?」

いく度も入れ替わる身体とその生活に戸惑いながらも、現実を少しずつ受け止める瀧と三葉。残されたお互いのメモを通して、時にケンカし、時に相手の人生を楽しみながら、状況を乗り切っていく。
しかし、気持ちが打ち解けてきた矢先、突然入れ替わりが途切れてしまう。
入れ替わりながら、同時に自分たちが特別に繋がっていたことに気付いた瀧は、三葉に会いに行こうと決心する。

「まだ会ったことのない君を、これから俺は探しに行く。」

辿り着いた先には、意外な真実が待ち受けていた……。

出会うことのない二人の出逢い。運命の歯車が、いま動き出す

映画『君の名は。』公式サイトより引用


改めて説明するのも必要ないほど、昨年全世界でメガヒットを記録した新海誠監督の長編アニメーション映画です。
ネタバレ全開で書きますが、男女間の入れ替わりという使い古されたテーマかなと思えば、中盤からはタイムパラドックス要素やSFファンタジー要素が加わり、予想外の展開に最後まで目が離せない映画でした。
なにより新海誠監督の持ち味の圧倒的に美しい映像に惹きつけられた映画だったと言っても過言ではありません。

そしてヒロインの三葉ちゃん可愛いよね。

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大傑作ではあるけれど

昨年本作を観たとき、僕はモヤモヤした気持ちを抱えました。
誤解の無いように言えば、とても素晴らしい作品であることは間違いありません。
僕視点で恐縮ですが、日本のアニメーション映画の最高峰です。
ジブリファンの皆様には申し訳ありませんが、ジブリを超えたと思います。
タイムパラドックス系にありがちな細かい矛盾も、早い展開によって全く気になりませんし、様々な伏線も綺麗に回収されています。
そして先述しましたが圧倒的な映像美。
さらに言えば三葉ちゃん可愛いそれこそ圧倒的に。
いろんな人が「感動した」「泣いた」というレビューを書くのも頷けます(実際僕も3度観て5度泣いたけどな)。

では何故モヤモヤしたのか?
それはおそらく僕が新海誠監督のファンだったからです。
「おい新海、最後出逢わせたらダメだろ、それは新海誠じゃねーだろ」
それが本作を初見したときの僕の感想でした。

でも三葉ちゃんは可愛かったけどな。

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新海誠監督に敗北した

本当に新海誠はどうしてしまったんだろう?
東宝という大きなところと組むと、新海誠ですら大衆性を得られてしまうのか?
「秒速五センチメートル」で新海作品にどハマりしてしまった僕。
芸術的な映像と、すごくむず痒くて恥ずかしくなるモノローグ。
それ故に映像の評価はズバ抜けて高くとも、肝心のお話は一部のオタクにしか評価されませんでした。
そこがドンピシャで僕の心の琴線に触れたのですが。
しかもこれまでの新海作品は長編にはすこぶる弱いイメージです。
だからこそ「君の名は。」という長編物が発表されたときは不安で動悸をもよおしました。
新海、ちょっと待てと。
お前は自分が何をしようとしているのか分かっているのかと。
戻ってこい、今ならまだ間に合うと。
上から目線で恐縮ですが、ファンであるが故に本気でそう思ってました。

そして本作は封切られ、これは新海ファンの義務だと勝手に勇み足で鑑賞。
鑑賞直後劇場内のあちらこちらから「ヤバイ」「泣いた」の声。
確かにヤバイ。
泣いた。
全身の穴という穴からグダグダのダラダラに泣きました。
しかし同時に僕は絶望しました。
こんな終わり方は新海じゃない…
なんで無事に出逢うんだよ…
新海、そこはすれ違ったままでよかっただろ…
いつもの終わり方でよかっただろ…
いつもの童貞臭い感じでよかっただろ…
なんでだ新海、どうしてそうなった?
と、勝手に裏切られたような気分でした。
僕が「君の名は。」を鑑賞したことをブログに書かなかったのもこのモヤモヤのためでした。

ですが、この作品自体にとても惹きつけられたのは事実で、2度、3度と鑑賞するうちに自分の浅はかさに気付きました。
なんてこった、これは新海作品の集大成ではないか。
これまでの新海作品のオマージュがそこかしこに散りばめられ、新海作品の要素を詰め込みまくった贅沢な作品なんだ。
なのに僕は、ラストで瀧くんと三葉ちゃんが再会してしまったことにとらわれすぎてしまいました。
いつもの作品のように2人は再会せず、例え再会してもどこか喪失感がある締め方でなければならないんだ、そんな考えにとらわれすぎてしまいました。

「君の名は。」が過去の新海作品と決定的に異なる点。
それは主人公の2人が「運命に抗った」という点です。
これまでの新海作品は「運命を受け入れる」傾向が強かったと言えます。
過去作は一貫して「惹かれ合う男女が引き裂かれる様」を描いています。
ほとんどが男性側視点で描かれ、自己陶酔的な(童貞臭い)目線で物語を紡いでいきます。
そしてラストは、2人が引き裂かれても「それが運命だから仕方ない」と(童貞臭く)受け入れて終演するというパターンがほとんどです。
総じて新海作品は童貞臭くてイカ臭かったんです。
そこが良かったんです。

ですが新海監督は「君の名は。」で進化を見せました。
主人公の瀧くんは、時間をさかのぼってまでヒロインの三葉ちゃんを生かそうとします。
今までの新海作品であれば、三葉ちゃんの死を受け入れ「これが自分達の運命なのだ」と抗うことなく自己完結的に終演したはずです。
でも瀧くんは三葉ちゃんの死を運命だと受け入れず、運命から脱却するために必死に前に進み、必死に抗い続けました。
そして運命に抗った2人は再会を果たします。
あの新海監督が運命に抗ってしまいました。
これまでの作品とは真逆の前向きさを見せてしまいました。
初見時はそこに全く気付けませんでした。
あのラストの再会だけで本質を看破した様な気になり、「こんなのは新海じゃない!」と喚き散らしてしまいました。
新海監督は成長したんです。
童貞脱却したんです。
イカ臭くなくフローラルな香りが作品を包んでいたんです。
僕は置いてけぼりを食らいました。
僕は新海監督に敗北したのです。

また、もうひとつ特筆せざるを得ない点があります。
それは「君の名は。」という作品は明らかに東日本大地震をモチーフにしているという点です。
物語の象徴である彗星。
1000年周期で地球を訪れるこの彗星が糸守町に落下し街は消滅、三葉ちゃんを含む500人以上の人々が死んでしまいます。
これは明らかに震災をモチーフにしていると言うしかありません。
見ようによっては、あの大震災に巻き込まれた人々を救おうとする男女を描いた作品とも捉えることができると思います。
しかも本作が凄まじいのは、震災を青春SFファンタジーに落とし込んだ点だけではありません。
彗星は大災害の元凶であり、悲劇の象徴のはずです。
それなのに作中では誰も彗星を責めることも、犠牲者を憐れむこともしません。
災害に伴う負の側面がほとんど描かれていないんです。
犠牲者名簿や糸守町の記録が描写され、その瞬間だけは「彗星災害は悲劇だった」という空気が形成されますが、その悲しみを後の物語に引きずることはしませんでした。

瀧くんは三葉ちゃんを死に追いやった元凶であるその彗星を東京の自宅で目撃し「ただひたすらに美しい眺めだった」と語っています。
普通の作品であれば瀧くんの胸中には「なぜ俺はあの時あの彗星を美しいと思ったんだ、三葉を死へ追いやり街を消滅させた彗星を美しいと思うなんて馬鹿な考えを…」などと、自分を非難する感情を描いていたかもしれません。
誰かが瀧くんの「美しい」という思いを非難していたかもしれません。
しかし瀧くんはその様な感情を一切引き起こさないし、周囲の人間は誰も彗星落下を悲劇と口にする者もいません。
淡々と何が起きたのかを説明するに留まっています。
彗星の存在に悲劇性を全く持たせていないのです。
大災害の原因となったものを見て「美しい」と思った感情を否定することなく貫き通しているというのは、震災後の作品としては凄まじいと言うしかありません。

仮に彗星落下に悲劇性を持たせるのであれば、彗星落下前の大騒動から美しくて切ないラブソングを挿入することはなかったはずです。
この美しくも切ないラブソングは、彗星が地表に落下する直前まで流れています。
この演出は並の精神では成し得ないと思います。
大災害が起ころうとしているのにラブソングを流し続け、元凶である彗星を美しいものだと貫き通した新海監督の信念と精神力には言葉が出ません。
徹頭徹尾、物語を、彗星を、美しいものとして貫き通したんです。
単純に「凄い」としか言えませんし、言い換えれば「異常」とか「狂ってる」演出です。
僕はこの「美しい」という単純明快な言葉が孕んだ事実に気づいた瞬間、新海監督に敗北したと思いました。

いわゆる「震災後の文学」だからこそ、いつものようなすれ違いや喪失感を与えるラストであってはいけないんです。
2人は再会してこそ、人々に希望を与える作品になるんですね。
いつものような「希望があるのかないのかはお前らが読み取れ」というラストではダメなんでしょう。
希望を見る側に委ねるのは、震災を経験してしまった日本人には痛み以外の何物でもないと思います。

おかしい。
新海誠は、こんな社会的な投げかけをする監督では無かったはずだ。
今までの新海作品は淡々と人を描いてきました。
それなのに「君の名は。」では明らかに震災をモチーフにして、それを見事なまでに青春SFファンタジーに落とし込み、かつテンポも良くまとまり、素直に感動できる傑作に仕上げました。

さらに、瀧くんと三葉ちゃんは奇跡的な再会を果たし、そこにモヤモヤを感じていたんですが、よくよく考えるとこれは単純なハッピーエンドではないと感じてきています。
なぜならば、一見ハッピーエンドのようで、実はこの再会の裏には新海作品独特の「喪失」がしっかり組み込まれているからです。
物語の最高潮、糸守町を救うための大騒動の場面で、2人はお互いの名前を忘れてしまいます。
これはこの物語における喪失の代表です。
でも本質はこんな単純なものではないような気がするのです。
お互いの名前だけでなく、かつて糸守町を救うために必死だった思いをすべて失っており、すべてを忘れているのに、ずっと何かを探しているという感覚だけは残っています。
絶望的な喪失を抱えて2人は再会しているのです。
その「探しているものすら何なのか分からなくなっている」という点は、過去の作品の喪失というテーマにピッタリ当てはまると思うのです。
2人は再会しているから一見ハッピーエンドに見える。
でも瀧くんは「好きだ」と伝えたことすら忘れてしまっている。
あの町に固執した理由すら忘れてしまっている。
なぜ彼・彼女でなくてはならないのか、その気持ちすら忘れてしまっている。
かつて大切だった記憶と思いを忘れてまで再会しなければならないというラスト。
これは単純なハッピーエンドではなく、哀しさを孕んだラストだと思います。
新海監督はいつものように喪失を抱えたラストを提示したんだと思います。
その喪失を孕んだ哀しさは、新海監督の魔術によって美しさすら感じるものへと変換されました。
だからこそ大多数の人はハッピーエンドだと捉えたのだと思いますし、あれほど大ヒットしたんだと思います。

負けた。
完全敗北だ。
ラストばかりに気を取られて感情的になった僕が馬鹿だった。
新海に僕は負けた。
これが僕の「君の名は。」に対する評価です。

そして一言でまとめると三葉ちゃんラブということです。

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サイドストーリーを読んだ

さて、ここまで僕の「君の名は。」もとい三葉ちゃんに対する熱くたぎる想いを読んで頂いた方、誠にありがとうございます。
皆様のお前キモいとの声バシバシ届いており非常に気持ちいいんですが、残念ながらここまでが前置きです。

先日、残り少なくなったamazonのポイントを一気に使ってしまえとショップ内を物色していたところ見つけたのが、「君の名は。 Another Side:Earthbound」という本。

傑作映画のサイドストーリー、見たくならないはずがない。
何より表紙が大好きな三葉ちゃん。
これは買わなきゃいけないような気がしてamazon kindle版を購入しすぐに読み始めました。

負けた。
ここでも僕は新海に敗北した。
新海、お前は何回僕をねじ伏せれば気がすむのか?
そんな気持ちになりました。
内容は4話の短編がまとまっており、主人公瀧くん、三葉ちゃんのお友達のテッシー、三葉ちゃんの妹四葉ちゃん、三葉ちゃんの父親の町長のサイドストーリーとなっています。
未読の方のために極端なネタバレは避けますが、どの話も本編をうまく補完してさらに本筋が豊かに膨らんでいくのですが、特に後半2話に関してはゾワゾワと鳥肌が立ち、なおかつ最後にはやっぱり全身の穴という穴から泣かざるを得ないほどの内容でした。
確執のあった父親が、本編のあの場面でなぜああいったことを言ったのか?
あの場面でなぜ祖母と四葉が父親と一緒にいたのか?
完全に腑に落ちました。

新海、このサイドストーリーを本編のストーリーと時を同じくして構築していたんだとしたら、お前は大したヤツだ。
僕が「新海はこうあるべき」と拗らせてる間にお前は背中が見えない先の先まで行ってしまった。
もうここまで感情を揺さぶられたら、お前の見えなくなった背中を追いかけ続けるしかないじゃないか。
また本編観たくなったじゃないか。
また三葉ちゃんと逢いたくなったじゃないか。

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そしてまた観た

折しも「君の名は。」は今年7月末にDVDやBlu-rayが発売、レンタルも開始されています。
もちろん僕のiTunesにもしっかり発売日にダウンロードしていましたが、上述のように観る度に感情をグチャグチャに掻き乱される作品でもあるため、なかなか再度観る勇気が湧かなかったんです。
これ以上新海に僕の幼気な心を踏みつけられてたまるかと。
でもサイドストーリーを読了して、ようやくもう一度鑑賞する勇気が湧いてきました。

改めて観ると、バランス良く全ての感情を掻き立てられる作品だと感じました。
多分それがいい映画の条件なんだと思います。
見終わった後になんともいえない余韻が残ります。
うまく言えませんが、終わるのが惜しいというか浸っていたいというか…
日曜の夕暮れ時のような感覚です。
そして当時はそこまで思いませんでしたが、この作品は要所要所で流れる曲が抜群にマッチしています。
RADWIMPSの歌詞もよく読むと、その場面その場面の2人の心情を絶妙に表しているんですね。
舐めていた。
僕はRADWIMPSも舐めていた。
新海、サントラも買っちまったよ。
多くの人がそうであるように、僕にとってもこの作品は記念碑的な作品だと改めて感じた次第です。

それにしてもおおおおおおお!
あああああー、三葉ちゃん可愛いなーおい!
三葉ちゃんと入れ替わりたいとか言わないから、三葉ちゃんの口噛み酒なら飲みたいなーおい!(下戸だけどな)

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2017.09.29 追記

衝撃的な情報に白目剥いて泡吹いています。
「君の名は。」がハリウッドで実写化されることが決定したそうです。
アメリカのパラマウントピクチャーズと「スターウォーズ」シリーズのJ.J.エイブラムスがタッグを組むとのこと。
製作陣は無駄に豪華ですが、正直不安でしかありません。

おいふざけんな。
超絶大爆死の予感しかしないぞ?
あのアニメーション映像だから成り立つ世界観だぞ?
日本の自然と神道の雰囲気がないとあの空気感は表現できないぞ?
だいたいメリケン人に日本の侘び寂びを理解・表現出来んのか?
彗星を撃ち墜とす話になるのか?
副題はアルマゲドン2か?
主題歌のエアロスミス待ちか?

配役はどうすんだ?
テッシーは間違いなく黒人になるだろう。
いや、そんなことはどうでもいい。
肝心の三葉ちゃんはどうなるんだ?
異人のグラマー女優が制服や巫女装束や浴衣着るのか?
ナタリー・ポートマンならギリギリ許してやるが、三葉ちゃんは異人には無理だ。
かたわれ時に瀧くんと三葉ちゃんが初めて会えた時とラストの再会シーンで濃厚なキスシーンが挿し込まれんのか?
ふざけんな。

そして新海。
お前こんなコメントしてんじゃねーよ。

「君の名は。」は、日本に暮らす僕たちのローカルな想像力、ドメスティックな技術で組み立てた映画です。
そういう作品がハリウッドと交わることで、もしかしたら新しい可能性のようなものを見せてもらえるのかもしれない
そんな期待をしながら、完成を楽しみに待っています。


おい新海、そこは全力で断れよ。
何呑気に楽しみに待ってんだよ。
お前の世界観がぶっ壊されているのが目に見えてるぞ。

これまでのハリウッドのアニメ映画の実写化は、正直ガッカリするものが多かったので、このニュースに足がガクガク震えて止まりません。
いや、一周回ってある意味楽しみにすら感じてきてしまいました。
たとえ実写化版がとてつもなくイケてなくても、原作の「君の名は。」と三葉ちゃんは永久に不滅です。
あーあ…