15年目の9.11前に再度映画「ユナイテッド93」を観た

今年ももうすぐ9月11日を迎えます。
15年前の9月11日、アメリカ同時多発テロが発生し全世界に衝撃を与えました。
アメリカ国民ではない僕でさえあの衝撃は忘れることが出来ませんから、多くの方々にとってもそうであると思います。
9.11から5年後の2006年に公開された「ユナイテッド93」という1本の映画。
公開当時映画館の座席を立てなくなるほど強烈だったこの映画を、15年後の今、再び視聴してみることにしました。





ユナイテッド93とは?

『ユナイテッド93』(United 93)は、2006年のアメリカ映画。
2001年9月11日に発生したアメリカ同時多発テロでハイジャックされた4機のうち、唯一目標に達しなかったユナイテッド航空93便の離陸から墜落までの機内の様子や、地上の航空関係者たちのやりとりを描いたノンフィクション映画である。

出演者は無名俳優が中心に選ばれた。
また、リアリティを追求するために、パイロットや客室乗務員役にはその職業の経験者を起用。
また、空港との無線等には、事件当時の実際の音声が一部使用されている。
映画を作製するにあたり、ほぼすべての遺族と連絡をとり了解を得た。
また何人かの俳優が自身が演じる役をより深く理解するため、遺族のもとを直接訪れた。
監督をはじめとする製作スタッフは犠牲者の遺族や関係機関へ入念な取材を行った。
また管制官や一部の出演者は、当日に現場で勤務していた本人が演じているという。

Wikipediaより引用


2001年9月11日、テロリストによってハイジャックされた4機の飛行機の内2機はワールドトレードセンターに、1機はペンタゴンに激突しました。
しかし残る1機、ユナイテッド航空93便だけはペンシルベニア州の郊外に墜落し、乗客乗員全員が死亡してしまいましたが、地上に被害者を出すことはありませんでした。
15年前に起きた誰もが知る歴史的事件をドキュメンタリータッチで描いたのがこの作品です。


作品のネタバレと感想

ユナイテッド航空93便はホワイトハウスに激突することを目的としていたとされ、4機中唯一目的を達成できなかったと言われています。
機内から家族に電話をかける者も多数いたり、乗客がハイジャッカーに最後まで抵抗したためにホワイトハウス激突という目的を完遂できなかったとされ、ハイジャッカーに抵抗する際に乗客の一人が放った”Are you guys ready? Let’s roll.(用意はいいか?やってやろうぜ)”という言葉は、このテロ事件を契機にブッシュ政権が踏み切ったアフガニスタン侵攻・イラク戦争時のスローガンとして使われたそうです。

(陰謀論は多々あるものの)この様な公式な調査結果を、この作品はわざとらしいお涙頂戴を排し、テロリストを単純に悪役と描くこともせず(つまり、物語を善悪の対立構図にする事を避けている)、とにかくディテールと臨場感を抑えた演出で伝えることに徹した作品です。
これを見ると、いかにこの題材がアメリカでデリケートな題材であるかが、ひしひしと伝わってきます。

監督たちは当局の関係者、そして遺族に綿密な取材を行い、特に遺族からは、機内から家族への最後の電話の内容などもインタビューしたそうで、演じる俳優たちにはそれぞれの人物の生い立ちや当日の空港までの足取りまで伝え、役作りを行ってもらったといいます。
安直なヒーロー映画にしないため、役者はあえて無名の俳優だけを使った様です。
また、機長と副機長、客室乗務員には実際の業務経験者をキャスティングし、動きのリアリティを再現。
管制官等にも、なんと当日実際に勤務していた本人に実名で演じてもらうなどしており、本編終了後よくエンドロールを見れば、「Himself」が多数並んでいることに驚きを覚えます。

ドキュメンタリータッチにこだわったためか、前半は淡々と当日の各所の様子が描かれ、はっきり言えばドラマ的な面白さはほとんどありません。
1時間くらいしないと事件も動き出しませんから、この導入部は必要あったのか?と思える程です。
とは言え、前半の管制センターの描写が、あの9月11日の雰囲気を鮮明に甦らせてくれることは確かです。
また93便だけに話を絞った場合、どうしても乗客一人一人のキャラクターや人生模様を描き込むことになって、ドラマ的な要素が濃厚になってくるでしょうから、それを避けたかったという狙いは分からなくもありません。

話が93便の中に絞り込まれてからの緊迫感は尋常ならざるもので、前半だれきった姿勢で見ていたのですが、いつの間にか姿勢を正し、結果はわかっているにも関わらず食い入るように画面に見入ってしまいました。
ある意味、これこそパニック映画の最高峰と言えるかもしれません。
ドキュメンタリータッチにこだわったとはいえ、それでも機内で最後に家族へ電話するシーンなどは、涙なしには見られませんし、ラストシーンも衝撃的で、遺族や関係者はとてもじゃありませんが正視できるものではないと想像に難くありません。
見た者の心へズシンと響く衝撃を与える映画であることは間違いありません。

この作品は、細部まで「本物っぽく」作ってありますが、証人がいない以上機内の様子についてはあくまで想像に過ぎません。
このような美談があったかどうかも実際のところは分かりませんし、9.11事件自体、極端なものでは自作自演説などさまざまな疑惑が出されており、そうした検証ビデオなどを見たことがある方には、素直に「ユナイテッド93」に感情移入することは難しいでしょう。
そもそも、この作品自体がプロパガンダではないかという声は根強いと聞きますが、僕個人的にはこの作品は政治的プロパガンダではないと思っています。
政治的プロパガンダや浅薄なメロドラマに堕すことを免れたと僕が思っている最大の理由は、テロリストを単なる悪役にしないのはもちろん、乗客を美化することも避けたクールな視点があるからです。

この作品を見て考えさせられたことは山ほどありますが、中でも印象深かったのは、乗客が「これ以上地上の犠牲者を出さないため」といった類の言葉を一切口にしないことです。
何故ユナイテッド93便の名が、今も大きな感動をもって語られるのでしょう?
それは乗客が反撃を企てたことで、ハイジャックされた飛行機の中で唯一テロリストが目標を果たせず、地上に一人の犠牲者も出さなかったからではないでしょうか?
そして大部分の人間は、「地上に一人の犠牲者も出さなかった」という点にとりわけ感動します。
実際僕もそうでした。
それは9.11という大きな悲劇におけるわずかな救い、人間の尊厳を示す出来事のように見えるからではないでしょうか?

しかしこの映画は、そのような見方をやわやわと否定しています。
テロリストと闘う乗客たちは、あくまでも自分たちが生き残ることを目的に立ち上がります。
決して「地上の犠牲者をこれ以上増やさないため」ではありません。
それは当然のことでしょう。
確かに彼らは、携帯電話を通じて、他の飛行機がワールドトレードセンターやペンタゴンに衝突したことは知っていました。
しかしテレビでリアルタイムの映像を見ていた我々ですら、その大惨事が意味するもの、とりわけそこにいる人々がどんな状況にあるかを飲み込むのにずいぶん時間がかかったのです。
目の前に血まみれの死体が転がり、自分自身がハイジャックされた飛行機に乗っている圧倒的不条理の前では、伝聞のように伝わってくる外の状況などほとんどリアリティを持たなかったに違いありません。
理性の片隅でその意味は考えたかもしれませんが、彼らを突き動かしたものは、決して正義感や政治的な意識ではなく「このままでは殺される」「何としてでも生き延びなくては」という、生物としての根本的欲求だったはずです。
そんな当たり前のことに、再度視聴してようやく気付くことが出来ました。
その一点だけでも、(僕の中では)この映画には大きな存在意義があると言えます。

そしてそれは一方のテロリスト側にも当てはまります。
この映画は、前述の様にテロリスト側、乗客側のどちらに対しても善悪の判断を下さず、そこで起きた出来事をあたかもドキュメンタリーのように淡々と描写する作品です。
もちろん生存者がいない以上、描かれた物語の多くはあくまでもドラマなのですが、それは十分すぎるほど「実際にありえたドラマ」あるいは「実際に起こったであろうドラマ」であり、非難されるべき誇張はほとんど見あたりません。
そのようなクールな視点から描かれたテロリスト4人の姿には、憎しみよりも憐れさや同情が先立ってしまいます。
これも映画を再度見て初めて納得できたことですが、たった4人で44人の乗客乗員がいる飛行機をハイジャックし、数十分飛行した後目的地に首尾良く衝突するというのは、本当に困難な作業です。
乗客も怖いですが、犯人側も怖い。
ちょっとでも隙を見せたら反撃されるので、最初にいきなり一人の乗客を殺してデモンストレーション、その後もちっぽけな武器で威嚇しまくりますが、いかんせん多勢に無勢。
ジリジリと迫る反撃の恐怖。
パイロットを務める犯人は、実際に大型旅客機を飛ばすのは初めてですから、最初からいっぱいいっぱいで汗ダラダラ。
その緊張や恐怖感が手に取るように分かるため、見ているこちらまで胃が痛くなります。
そして、ついに勃発する乗客の反撃。
この描写がもの凄いのです。
「愛するものを守るための正義の闘い」などでは全くない、むき出しの残酷な暴力。
一切の容赦無く犯人に襲いかかる乗客の姿は、はっきり言えばゾンビ映画で人間に襲いかかるゾンビの姿そのものでした。
しかし、そうすることがごく当たり前の現実だったのでしょう。

乗客には生きて家族のもとに帰りたいという強い希望があります。
犯人には飛行機をホワイトハウスに突っ込ませたいという強い希望があります。
相容れぬ二つの希望は、どちらも達成されることはありません。
最初から結果は分かっているにも関わらず、その結果が出た瞬間の虚しさは、あまりにも大きいものです。

乗客と犯人は、それぞれ自らの希望が達成されることを神に祈ります。
キリスト教とイスラム教は本来兄弟のような宗教であり、彼らが祈る「神」はまったく同じ存在です。
相反する祈りを捧げられた神は、どちらの祈りも聞き届けることなく、両者の命を奪い去ります。
それは人間の愚かさに対する神の怒りなのでしょうか?
それとも彼らが考えるような神など最初からいないことの証なのでしょうか?

「ユナイテッド93」という映画は、ドラマ性を排し客観的な視点に立つことで、通常の商業映画ではありえないタイプの感動を与えてくれるのと引き替えに、それを見た後は「見終わった後の救いの無さ」という十字架を背負うことになります。
この作品は、決して映画史を塗り変えるようなタイプの作品ではありません。
そもそも純粋に映画として見た場合、幾つもの欠点があります。
ですが、たとえメディアを通してであれ、9.11をリアルタイムで目撃し、その後の世界の変化を知る者なら、この作品に何らかの感動を覚えずにはいられないでしょう。
見る者の胸に強い印象を残す、傑作の名に恥じぬ作品です。

しかしこの映画をあえて一言で表すなら「二度と見たくない傑作」あるいは「出来れば見ないで済ませたかった傑作」という言葉が最もふさわしいと思います。
この映画を見たいと思う方は、時間と気持ちの余裕が充分にある時に見ることをお勧めします。
この映画を見終わった後の虚しさ、救いの無さは、それほど深く大きなものだからです。
すでに述べてきたように商業的なドラマ性を極力排した作品ですが、乗客の一人が携帯電話で家族と最後の会話を交わした後、隣の人に「あなたも大切な人におかけなさい」と言って携帯を渡すシーンではさすがに目頭が熱くなったことを、最後に付け加えておきます。