両親の還暦祝い

私がこの世に生を受けて35年余。
当たり前の話だが、自然発生的にひょっこりこの世に産まれた訳じゃない。
デカい顔して生きてはいるが、両親のお陰で産まれて、両親のお陰で今の自分が存在していると最近は素直に思える様になった。
父が今年、母は来年還暦を迎えるため、弟と相談し、この度細やかながら還暦祝いの宴を催す事にした。





還暦とは

還暦(かんれき)とは、干支(十干十二支)が一巡し、起算点となった年の干支に戻ること。
通常は人間の年齢について言い、数え年61歳(生まれ年に60を加えた年)を指す。
本卦還り(ほんけがえり)ともいう。以後、その年は「今年、還暦を迎えた」の様に表現する。

現在では、数え年に代わって満年齢を用いることが多くなったため、数え年61歳に代わって満60歳を還暦とする考え方が一般的になりつつある。
還暦と満60歳の誕生日とは無関係だが、還暦祝いを満60歳の誕生日を中心に行なわれることが増えてきている。

Wikipediaより引用


父は典型的な”頑固者”。
酒を嗜めば多少饒舌にはなるが、平時は言葉短く、こうと決めたらテコでも動かない、意見を変えない。
バカが付くほどの仕事人間で、帰宅も遅く、遊んでもらった記憶も指折り数える程である。
子供の頃はそんな父の事がとても怖かった。
嫌悪感を抱いた時期もある。
「自分はこんな父親にはならない」とまで思った時期もある。
しかし母曰く、「アンタはお父さんにそっくりだ」と。
確かに仕事が面白くて仕方が無く、日々の帰宅も遅い私は、父の背中を知らず知らずに追っている様に思う。
俗に言う”この親にしてこの子あり”といったところだろうか。

私が専門学校へ入学する時や就職する時、結婚を決めた時や家を建てた時、人生の大きなターニングポイントの折々で、父は適切な助言をしてくれた。
全てが正しく全てが真っ直ぐな助言のお陰で今の私が存在している。
父の仕事は某大手自動車メーカーの役員。
営業時代からひたすら仕事に打ち込み、現在のポストまで登り詰めた。
今年で還暦ではあるが、会社は父を手放したくないらしく、営業時代よりも勢力的に各地に赴き、更に仕事に没頭している。
そんな父の仕事に対する姿勢、自分が就職した際に初めて凄いと感じたものだ。
私が今の会社に入職した際の父の言葉は今も深く心に残っている。
「どんな仕事でもイヤなところは必ずある。むしろ最初は辛い事だらけだ。でも辛くても最低3年は辞めるな。3年同じ仕事をしないとその仕事の面白味は見えてこない。」
「職種に貴賊は存在しない。貴賊が発生するならば、それは同じ職種内でしか発生しない。同じ職種の誰よりも誠実に真面目に勤勉に努めなさい。そうしたら自ずと高貴な営業マンになる。」
この言葉のお陰で、入職してから現在まで十数年も現職を楽しく続けられている(高貴な営業マンになれたのかは疑問であるが)。
社会人になり、家庭を持ち、親になり、歳を重ねる度に、父の事を素直に敬う気持ちが大きくなっている。
今では誰よりも父を尊敬している。

一つだけ心配毎がある。
もう何年前になるだろうか?
私の祖父(父の父)は60歳になったばかりで急逝してしまった。
クモ膜下出血だった。
今年で父は60歳。
普段の検診でも全く異常は見当たらないらしいが、祖父も身体には全く異常は見当たらないのに突然逝ってしまった事を考えると、とても不安に駆られる時がある。
仕事が大好きな父に「仕事をセーブしろ」とは言わない。
しかし、自分の身体には充分に注意して、適度に休息しながら今後も頑張って欲しいと心底願っている。


母は我が家のムードメーカー。
とても明るく、陽気で、朗らかで、父をしっかり支えている様に見える。
行動力もあり、いろんなところに遊びに行っては孫(我が家の愛娘)にお土産を買ってきてくれる。
一緒に出掛けると、必ず知り合いに声をかけられる場面に遭遇する事もしばしばで、幼い頃から私の自慢の母である。
“男はマザコン”という言葉はしっかり私にも当てはまるらしい。

私達夫妻の結婚前、母はあわや片足切断も考えられる事故に遭遇した。
一報を知らせてくれた父の声は震え、涙声だった。
父のあんな声を聞いたのは後にも先にもこの時だけである。
私も慌てて病院に駆け付けたが、その間の記憶が今でも全く思い出せない。
呆然としていたな位のうっすらとした記憶しかない。
おそらくは頭が真っ白な状態だったのだろう。
記憶にあるのは手術室から出てきた麻酔で眠っている顔面蒼白な母の顔。
幸いにしてオペも術後経過も良好で、母は自立歩行に問題無いまでに回復したが、お見舞いの人達は毎日毎日ひっきりなしに訪れた。
母がどれだけの人達(自分も含めて)に愛されているのか、必要とされているのかを痛感させられた。
無事に私達夫妻の結婚式までに退院が叶い、式中に流してくれた涙は忘れられない。
「私はアナタ達の生活には干渉しないから。」
結婚前から言っていた言葉だが、妻にも優しく接してくれて、俗に言う”嫁姑問題”など我が家には皆無。
と言うよりも妻曰く
「お義母さんが決して押し付けがましくなく細やかな気遣いをしてくれている。最高のお義母さんだ。」
との事。
母はずっと自分の娘が欲しかったらしく、妻の事も我が子の様に可愛がってくれている。
年老いた祖母(父の母)も最近痴呆の気が出てきたが、今までと変わらず優しく接してくれている。
やはりこの母でなければ、我が家は全く機能しないのだ。

初孫である我が娘が可愛くて仕方が無いらしい。
用事を見つけては足繁く我が家に通い、娘と遊んでくれ、妻もだいぶ助かっていると話してくれる。
誰からも慕われる母。
それゆえに皆に気を使い、気苦労も絶えないのではないだろうか?
どうか心穏やかに、娘にとって大好きなばあばでいて欲しい。


還暦の宴

昨夜の還暦祝いは、父、母、弟、妻、娘、そして私で行った(出来れば祖母にも出席して欲しかったのだが、体調も考慮して近くに住む叔母に面倒を頼んだ。それだけが心残り)。
とても和やかに、穏やかに、いい時間を過ごす事が出来た様に思う。
皆気持ち良く話し、気持ち良く笑い、気持ち良く食べ、気持ち良く呑み、気持ち良く眠った。
素晴らしい時間を共有できた。
両親共にいつも以上に嬉しそうに娘と遊んでいる姿を見て、「この家族で本当に良かった」と心底思った。
誰しもが(特に男性なら)そうであると思うが、少年期・青年期は気持ちの軸足は友人や趣味、異性などに移る。
しかし壮年期になり、結婚し子供を授かり、家庭を築き始めると、気持ちの軸足は自然と家族の元に還ってゆく。
最近は如実にそれを実感している。
かけがえのない家族。
これからも1番身近で1番大切な家族を、精一杯守って、愛し続けようと心に誓う夜であった

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宿泊先

この度の還暦祝いでは、“かみのやま温泉葉山館”( @hayamakan )に御世話になりました。

葉山館

夫婦水入らずで過ごして欲しかったため、2人の宿泊する部屋の予約は、15歳以上でないと入れないという”翠葉亭”に。
以前”翠葉亭”以外の部屋は利用した事があったのですが、ここの噂を聞いていたので、是非にと思い予約を受け付けて頂きました。
こっそり娘を連れて覗きに行きましたが、デザイナーズ家具が「これでもか!」と配置され、内風呂の他にも足湯も設備され、とても気持ちの良い空間でした。
特にベッドはあの”シモンズベッド”
他の部屋に宿泊していた私達も泊まりたくなる部屋で、両親は大満足。
どうしても旅行や宿泊となると、他県の旅館に目が行きがちになります。
私も国内の様々な評判のいい旅館に何度も宿泊経験がありますが、山形県内にもこんな良い宿があったのかと再発見させられました。
葉山館の皆様、行き届いた気持ちのいいサービスをありがとうございました。
心から御礼申し上げます。

Hayama 1


Hayama 2


Hayama 3


Hayama 4


Hayama 5