あかり通信 Vol.9 〜七五三〜

9月に3歳になった愛娘あかり。
自分の意志を自分の言葉で伝える事が出来る様になり、最近では、だらしのない父を窘める事もしばしば。
女の子の3歳はれっきとした“女性”なんだなぁと感じずにはいられません。
さて、女の子の3歳の行事といえば“七五三”
我が家の愛娘も先日の大安吉日の祝日に、ちょっとだけ背伸びをして、参拝・御祈祷してきました。






そもそも七五三って?

この度娘の七五三を祝うにあたり、ふと疑問に思った事があります。
『七五三って子供の成長をお祝いする行事だけど、そもそも何で始まったんだろう?』
私が子供の頃にも、両親に七五三のお祝いをしてもらいました。
その時の写真は実家にしっかり現存しています。
しかし、ご想像通りちょっと残念な子供だった私は「ちっ、千歳飴うめえ!(鼻水ダラー)」程度の記憶しかなく、その後七五三に触れる事もなく、その由来すら全く知らない状態だったのです。
ちょっと残念な子供が、そのままとても残念な大人になってしまったという訳で、、、
とても残念な大人だと言う事は重々自覚はしているのですが、我が子の七五三を祝うのにその由来を知らないままでは親としてどうなんだ?という気持ちに苛まれ、改めて七五三の由来というものを調べてみる事にしました。


七五三(しちごさん)とは、7歳、5歳、3歳の子供の成長を祝う日本の年中行事。
天和元年(1681年)11月15日、館林城主、徳川徳松の健康を祈って始まったとされる説が有力である。
男の子は3歳と5歳、女の子は3歳と7歳の年の11月15日に、成長を祝って神社・寺などに詣でる年中行事(神社庁より)。
現在では11月15日にこだわらずに、11月中のいずれかの土日・祝日に行なうことも多くなっている。
3歳は髪を伸ばす「髪置(かみおき)」、5歳は初めて袴をつける「袴着(はかまぎ)」、7歳は、それまでの紐付きの着物に代わって、本仕立ての着物と丸帯という大人の装いをする「帯解(おびとき)・紐落(ひもおとし)」の名残りである。
現代では行事に正装に準じた衣装(晴れ着)で臨み、洋服の場合もあるが和服の方が多い。
少女(極稀に少年)は、この時に初めて化粧(厚化粧の場合が多い)をして貰う場合が多い。
近世までの日本は、現在の開発途上国と同様の状況(栄養不足・健康への知識不足・貧困・疫病など)が原因で乳幼児が成人するまでの生存率はきわめて低く、その様な事から乳幼児の生存を祝う節目として定着した。
男児が女児よりも早く祝うのは後継者としての意味合いもあるが、医療技術が発達する現代までは女児よりも男児の生存率が低かったためである。
また、三歳=言葉、五歳=知恵、七歳=歯を神から授かる事を感謝とする地方や、三歳、五歳、七歳は子供の厄として、七五三を一種の厄祓としている地方もある。

Wikipediaより引用


なるほどねー。
元々は徳川将軍家の世嗣、徳川徳松の健康祈願として始まったというのは、歴史好きな私には萌え萌えポイントです(その徳川徳松が僅か5歳で夭折したのは皮肉な話ではありますが)。
乳幼児生存率が低かった時代に3歳・5歳・7歳まで生き抜くという事は、現代の子供よりも相当過酷だった事は想像に難くないですし、親としては生き抜いた子供はとても愛おしかったのでしょう。
それが七五三という形でのお祝いの雛形になったというのは、当時の生活習慣や経済状況などを知る上でもとても興味深いところです。
また、近代以前は疫病や栄養失調による乳幼児死亡率が高く、数えで7歳くらいまではまだ人としての生命が定まらない『あの世とこの世の境いに位置する存在』とされ、『いつでも神様の元へ帰りうる』魂と考えられたそうです。
実際我が子を授かった頃、私の母にこう言われました。
「アンタ、この子が7歳になるまでは真剣勝負よ。7歳未満の子供は本当にちょっとした事で天に召されてしまうんだからね。」
知ってか知らずか母が言った言葉の意味が、七五三の由来を調べて改めて分かった様な気がしましたし、娘の七五三を祝うにあたり背筋がスッと伸びたような気持ちになりました。
何気なく調べた事ですが、事前にこのような事を知ることができてとても良かったと思っています。


和装のあかり

さて七五三当日は、朝の7時から娘と妻は美容室へ。
妻の着付けとお化粧はもちろんですが、娘の着付けと人生初のお化粧です。
しかも娘が着る晴れ着は、妻が子供の頃七五三で身に着けたモノ。
なんかそういうのいいですよね。
レンタルで済ますのよりもロマンを感じます。
そんな事を話しながらも、留守番を任された私と、早朝から孫の七五三を祝いに来た私の母はソワソワ落ち着かない時間を過ごしておりました。
美容室から戻ってきた娘を見て、私と母は狂喜乱舞。
「可愛い」という言葉が陳腐に思える程に愛くるしい娘(その合間に同じく着物を着た妻にも「綺麗だねー」とフォローをいれたのは言うまでもありません)。
ただ、(晴れ着が乱れるのでホントはいけないんでしょうが)あまりにも愛くるしいために思わず抱っこした娘の髪の毛から、フワッと整髪料のいい匂いがした時は、
「嗚呼、こいつも少しずつ大人になっちゃってるんだよなあ、、、」
と胸が酸っぱくなったのを覚えています。
子供の成長をお祝いするのに、子供が成長した事により自分の手を離れて行く様でちょっとだけ悲しいという、矛盾した気持ち、、、
女の子を持つ父親だったら分かりますよね?よね?
その後は母の知り合いの写真館で記念撮影をし、由緒ある谷地八幡宮へ参拝。
神殿で御祈祷を賜り、千歳飴を頂き、大満足のあかり。
お祝いに晩ご飯ではフランス料理に舌鼓、充実した七五三の1日が終了しました(日本の年中行事なのに何故フランス料理?という細かいツッコミはナシね、愚民ども)。


娘の成長を感じ取っとった一日

今回娘の七五三を経験し感じたのは
『(当たり前の事ですが)娘は日に日に成長している、親の都合で待ってはくれない、毎日が真剣勝負』
だという事です。
娘の人格形成にとても重要な時期を迎えている今、親が娘と正面から向かい合って真剣に対峙しなければ、娘は(人格的に)成長しません(もちろん娘が産まれてから、毎日真剣に向き合っているという自負はありますが)。
娘は来春から幼稚園に入園予定。
今までは私達夫婦との世界やお互いの実家の世界が、彼女にとっての世界の全てだった訳ですが、幼稚園に入園すればパーッと世界が広がります。
たとえ幼稚園とはいえ、そこにはれっきとした“社会”と守らなければならない“秩序”が存在します。
実際に入園し、体感して彼女はいろんな事を学ぶのだとは思いますが、次の“社会”に飛び出せるよう教え諭し、時にはキツく叱るのが、今の私の役目なんじゃないかな?
また、安心して帰ってくる場所があるからこそ彼女は“社会”に出る事が出来る。
その安心して帰ってくる事ができる家庭を、妻と娘と3人で共に創っていくというのが大事だと改めて思った次第です。
娘の成長が垣間見えて、今後の成長が非常に楽しみ(ちょっとだけ寂しい)で、とても良い経験を娘にさせてもらったなと感謝しつつこのエントリーを結びます。
次は4年後、楽しみだなー、あかりー!
お父さん、紋付袴着てもいいー?


千歳飴を持って


傘を持って


座っておすまし