僕らの歴史

前回のエントリーからだいぶ経ってしまった。
書こうと思って何度かトライしたが、秋風がそうさせるのかどんな話題をどう頑張って書き起こしてもエモくなって結局ボツに。
どうせエモい感じでしか書けないなら、徹底的にエモく書いてやろうじゃないかというのが当エントリー。
僕らのバンドの歴史をツラツラと。
エモくてキモいので要注意。





序章

変に詮索されるのも嫌なのではじめに断っとくが、こんな話書いても解散する訳ではない。
そもそもなんでこんなエントリーを書こうかと思ったのか?
まあ理由は「エモい気分だから」の一言で済ませてもいいのだが、こういう一風変わったバンドをやってると初見の方々から必ず聞かれるのが結成の成り立ちみたいなもの。
聞いて頂く方には大変申し訳ないんだが、その都度答えるのもいい加減面倒になってきた。
なおかつ僕の記憶が正しければ、everything-differentは今年で結成10周年という節目の年なのだ(これを書いてる最中に気付いたというところが猛爆ポイント)。
10年前のちょうど今くらいの時期に初ライブを演った。
流石に10年もやってると音楽的にも僕らの関係性にも都度変化が生まれるし、あの時はこうだったという事柄も多々存在する。
温故知新とはよく言ったもので、一度ここらで僕らの歴史を振り返ってみようと思い立った。
うーん、すでにエモい。


結成

2006年、僕とギターのhideki223が所属していたバンドが活動休止になった。
バンドマンなら分かってくれると思うが、それまで自分のプライオリティのほぼ全てをバンド活動に置いていた自分にとって、それが出来なくなった瞬間、仕方がないことだと分かってはいても、手足を引きちぎられた様な感覚になったのを覚えている。
バンドマンって多かれ少なかれどこかトンがってる気質があるし、バンドマンであることにある種の自己肯定感を持っているのに「普通の人」認定された様な、トンがるための、ツッパるための武器を無くした様な、物凄い喪失感に襲われた。
どうにかしてバンドにしがみついていたい、それがあの頃の心境だった。

それはhideki223も同じで、さてどうする?と当然今後の話になる訳だ。
サポートメンバー募集して続行するのもいいけれど、半端なサポートで半端なライブ演るのはカッコ悪いだろと(今思うととんでもなく上から目線なのだが)。
そもそも僕らはボーカリストとしてもギタリストとしても結構トリッキーなプレイヤーだった。
特に僕はトリッキーなことをしたがる癖に肝心の歌は上手くない(歌が上手くない自覚があるからトリッキーなことをしたがるのかもしれない)。
こんな僕らを受容してくれるサポートメンバーなんているんだろうか?
この際普通のバンドという形態にこだわらなくてもいいんじゃないか?
ちょうどその頃僕ら二人は「音を録る」ということにどハマりしており、いわゆるDAWソフトを本格的に使い始めた時期だった。
そして僕は音楽的な嗜好性が雑食だったこともあり、エレクトロニックミュージックなど「打ち込み」の音楽も好んで聴いてたため、そういう音作りに少しだけ興味があった。
事実前身のバンドでは僕のボーカルにエフェクトをかけたり、様々にエレクトロニックの要素を試行していた。
「Macで打ち込みやってみる?」
そんなライトな思い付きで、everything-differentは人知れず静かに結成された。
この頃は毎日のようにhideki223と会っていた気がする。

単にMac使いたいだけじゃないか?
確かに当時はそうだったのかもしれない。
でもあの時はそれしか音楽・バンドにしがみつける術がなかった。
安易に打ち込みやると決めたものの、誰がやり方を教えてくれる訳でもなく、試行錯誤の連続だった。
普通バンドというものは、スタジオ入って楽器を鳴らせばとりあえずそれっぽく聴こえるし、「バンドやってるぜ」感を味わえる。
曲作りも「これは曲になりそうかも?」という「曲の苗木」みたいなものが見えやすい。
というか、そうやって曲作りするのが当たり前だと思っていた。
でも打ち込みは、そもそもまず狙った一音を出すまでに一苦労。
一言でドラムと言ってもバスドラ、スネア、タム、ハイハット、金物といろんな構成要素がある訳で、そのパーツの一つ一つを打ち込む、いや、打ち込む前の音色を決めるところから相当大変だった。
そしてお互いに別の曲を作っているため、作業は基本一人ぼっち。
一人だと、自分の打ち込んでいるフレーズがかっこいいかどうかの判断基準がブレまくる。
そんな状態だったから、「曲の苗木」なんてもんは見えてくるはずもなく、撒いても撒いても芽も出てこないという哀しい状況がしばらく続いた。
しかし、手元(正確には目の前のMac)から打ち込んだ通りに音が出てるというのはそれだけで嬉しかった。
初めてギターを触った時の感動にも似た感覚。
なおかつ、打ち込みは出音全てを自分が如何様にもコントロール出来る。
バンドメンバーとのジャムセッション中のケミストリーなんてものは皆無だが、その代わりなんでも好き放題出来るという限りない自由を感じたのを覚えている(今ではちゃんとバンドアンサンブルというものを考えて曲作りするけどね)。

今振り返れば当時作った曲は、まだまだ作り込みも甘くて聴くに耐えない稚拙なものだったが、それでもどうにか試行錯誤で曲を完成させた。
そうすると今度はそれをステージにどう持ち込んでどう見せるか?という問題にぶち当たる。
お互いのMacをステージに持ち込み、いろんな機材で出力させる、理想はあるがやはり現実は甘くない。
ステージ上でMacが暴走、ライブ中に音が止まってしまって再起動なんていう信じられないトラブルも沢山あった。
そしてバンドとしてどう見せるかってこともあまり考えておらず、最初のライブでだけhideki223はギターを持たずにステージに立った。
僕は僕で、ノーMCでMacの前に棒立ち仁王立ち状態。
ステージでMacの前でスタイリッシュに音出してカッコいいだろ?と思っていた。
というか、本音を言えばいつ止まるかもしれない不安定なシステムにビビっていて思うようなステージングする余裕が無かったのだが。
でもエンジニア気取って無機質に、クールに音を出すのがカッコいいと信じていた。
変なところで無駄にツッパっていた。
今の自分ならそんな当時の僕に
「ワタナベくん、ツッパりどころはそこじゃない」
と優しく声をかけてあげられる。
そりゃMacは見た目カッコいい。
でもそれは曲を作って出力するためのツールでしかない。
まあ楽器と同じだよね。
ライブを演るのは僕ら人間で、Macではない。
当時の僕らはそんな当たり前のことも分かって無かった。
hideki223はギターを持つようになったものの、二人ともステージ両脇に位置取りセンターガラ空き、煽りもしない動きもしない。
こんなんじゃフロアのお客さんも盛り上がる訳が無い。
この頃を知るカッパマロの水戸部からは今だに笑いのネタにされる程、バンドとしての暗黒期が続いた。

そんな時、僕らの共通の友人で、ライブを観に来たALEXが
「僕ちん、VJ(ビジュアルジョッキー)やりたい。」
と自ら強烈にアピールしてきた。
いや、強烈という訳でもないんだが、VJやりたいと。
こういう打ち込みの音楽に洒落た映像というのは重要なファクターだ。
ご存知の通りALEXは、デザインを生業にしている。
作る作品も(僕の主観ではあるが)オシャレでセンスがいい。
反対する理由が全く見当たらず、ALEXが加入。
前代未聞の楽器の出来ないバンドマンを迎え、皆さんご存知の現在のメンバー構成になった。

ALEX加入後も苦難の道は続く。
映像を作ってステージ上に投影させる。
当然機材が新たに投入される。
機材が増えるとトラブルも増える。
トラブル回避の練習をするためにライブをやってるのか?と思うほどに三者三様にトラブルが多かった。
その都度反省するのだが、僕ら3人はライブの後は笑いながらディスり合えるいい関係だった。
そしてそれは今も変わっていない。
トライアンドエラーを繰り返し、バカみたいに機材を買い直し、ようやく今のライブスタイルの元となる原型が出来るまでにおそらく2年程かかったんじゃないかな?
システム自体も安定し、僕はステージ上を動き回りお客さんを煽り、hideki223は本来のギタリスト然とした佇まいでギターをかき鳴らし、ALEXは曲に合わせた映像をスムーズに投影。
ようやくうまく回り出した。

長い。
そしてエモい。


確執

こうやって結成当時を振り返り、今の僕らを知ってる人は、手前味噌だがいつも仲良さ気だと思われるかもしれない。
でも長くバンドをやっていると、どうしても揉めることだってある。
僕らだってそうだった。
今この場で初めて言えるが、everything-differentは2011年、一度解散寸前の状況に陥った。
理由はこの場に書くのは相応しくないし、僕ら三人しか知らなくていいことなので説明はしない。
一言で言えばボタンの掛け違い、いや、それともまた違うんだけど、お互いがお互いを許容出来なかったというのが一番しっくりくるかもしれない。
揉めたのは僕とhideki223。
僕はこの通り直情型の人間で、彼は調和を考える人間。
彼は揉める直前まで口に出して言わなかったけど、僕に対して相当腹に据えるものがあったんだと思う。
逆に僕も何も言ってくれない彼に対して思うところがあった。
しかもそれは音楽性とか先のビジョンとかそういうものじゃないから始末に終えない。
それがある時お互い一気に爆発した。
「脱退」
「解散」
そんな言葉を実際にやり取りした記憶もある。
そしてALEXは僕らの板挟み。
あの頃はもしかしたらALEXが一番苦悩したのかもしれない。

でも「解散上等」とはどうしても思えなかったんだよね。
音楽にしがみついていたいとかそういう理由じゃなく、僕の人生でこの人達を失うのは大きな損失だと思った(損得勘定じゃなく)。
自分がバンドを続けていくにももちろんそうだが、バンドだけではなく友人という枠を遥かに超えた運命共同体みたいな感じと言えば分かりやすいかな。
最近流行りの言葉で言えば、僕にとっての彼らはファム・ファタールに近いのかもしれない。

その後話し合う時間を設け、hideki223と僕は思ってることを全てぶつけ合った。
思いのたけをお互いに話した。
そしてスッと腑に落ちた。
彼も腑に落ちた(と思いたい)。
結局僕らに足りなかったのは話し合いなんだよね。
やっぱりどんだけ仲が良くても話し合いというのは大事。
正直あの時は、お互いのことを分かり過ぎているからこそ、いつの間にか思っていることを言えなくなっていたのかもしれない。
言うことで縛りつけんじゃないか?
言わなければなあなあに済ませられるんじゃないか?
そんな気持ちでお互いの出方を伺う様になってしまった様に思う。
今となっては、何故あんなどうでもいい理由で腹を立ててたのかとも思うが、とにかく途切れそうになった僕らの関係は寛解した。
しこりが全く無かったと言えば嘘になる。
少なくとも僕はしばらくギクシャクしたし、メンバー2人もそうだったと思う。
でも一度崩れかかった関係を、本音を言って持ち直したという事実は思いの外強く、少しずつ持ち直していった。
そして今では以前の関係よりもさらに良好な関係を築けている様に思う。
とにかくこの時点からeverything-differentはリビルドすることになった。
こんとき解散しとけよとか思ったみなさんすいませんざまあみろ。

ヤベ、マジでエモい。


昇華

この出来事以降、僕らは半年に一度位の頻度でライブをやりながら新曲を作っていくことになる。
以前とやることは変わりないんだが、とにかくひたすらに楽しかった記憶だけが残っている。
そしてその楽しさは現在も続いている。
躊躇なく作れるし躊躇なくものを言える。
その代わり躊躇なくものを言われる。
こんなやりとりが純粋に楽しめるようになった。

ライブは以前のようなトラブルは無くなり、安定感を増した。
たまに僕がポカやらかしてミスタッチでトラブっちゃうことはあるが、機材由来のトラブルはここ最近皆無に等しい。
棒立ちだったステージングも、感情に任せて動き回りお客さんを煽りまくっている。
hideki223のギタープレイもライブを重ねるごとにキレまくってきた。
本来彼は照れ屋でシャイなので、以前はステージ上で若干照れくさそうにしている素振りも垣間見えた。
しかし現在は、年に一度しか散髪しない悪癖が故の長髪を振り乱してギターを掻き鳴らし、ギターヒーローと錯覚してしまう(ことが稀にある)。
ALEXの機材は以前の様なトラブルはほぼ無くなっている。
また彼は、創作意欲が三人の中でも一番高く、作品を創るということに対するハングリーさは見習うべきものがあり、必ず次回のライブには新しい映像をぶっ込んでくる。
そして最近は楽器が出来ないなりにライブ中に踊り狂っているのだ(アルコール依存)。
ライブの度に足を運んでくれるお客さんも増えた。
そして、お客さんの動員数に関わらずフロアは高確率で盛り上がるようになった。

今年出演させて頂いた新庄でのホールでは、据え置きの椅子があるのにお客様総立ち、霹靂際や先日の山辺町のイベントでは、同年代のお客さんもそうだが、ご年配の方やお子様達からダイレクトでとても良い反応を頂いた。
出している音はとてもじゃないけど一般受けしない様な曲なのにも関わらずだ。
上から目線で申し訳ないが、これが僕らの今の実力だし、今の僕らを表していると思っている。
楽しい。
この3人でライブをするのがとにかく楽しいのだ。
僕らは有名なバンドでも無いし、演奏が特別上手い訳でも無い。
さらに僕の歌は残念ながら上手く無い。
でもジジババ、ガキンチョにウケる。
これって多分、僕らが楽しんでいるのがちゃんと伝わっているからだと思う。
昔は分かってくれる人だけ分かってくれればいいなんて言う斜に構えた考え方をしていたが今は違う。
バンドとしてステージに立つ以上、その場にいるお客さん全てを楽しませたい。
そしてそれは僕らが楽しんでこそ実現できるし、それでお客さんが楽しんでくれたら僕らも逆に楽しめる。
そう思えるようになった。

さらに僕らは、2014年のこの時期に音源をリリースした。
どうしても音源が作りたかった。
一度途切れかかってリビルドしたこのバンドの音源がどうしても。
それは他の誰のためでも無い、自分のために作りたかった。
レコーディングは完全に自分達だけで行った。
音源制作に全く関係の無い話になることもしばしばだったけど、それが僕ららしいし、そういう時間が必要だったんだと思う。
コーラスは誰を呼ぶ訳でも無く、hideki223とALEXに入れてもらった(残念なのは、ALEXの出番はジャケットデザインだけになってしまったこと)。
ミックスとマスタリングはhideki223。
何気に一番楽したのは歌を歌うだけの僕だったかもしれない。
とにかく、これがDIYと言うのなら、DIYってクソだなと思えるくらい、あの時自分達だけで出来る全てを出し切った。
僕の大事な作品だ。
一聴していろんな感想があると思う。
カッコいいと思ってくれる人もいれば、真逆の感想を思う人もいるだろう。
万人に受け入れられる音楽なんてある訳が無いし、それはそれで健全な感想だと思うし、悪い意見は甘んじて受け入れる。
でも心の片隅に常に思っていることがある。
「渡邊聡という人間が、堤英樹という人間と、池野剛という人間と、全てを出し切った作品だから、お前の意見は黙っとけ」と。
僕が死んだあかつきには、この作品を棺に入れて欲しい。

エモいってば。


未来

ここまで読んで頂いた皆様、お疲れ様でした。
我ながら長くなってしまったと反省している(いやしていない)。
10年ひと昔と言うけれど、案外いろんなことがあったと改めて実感出来た。
普段僕らと接している方々にも僕らの歴史を分かって頂けたのではないかと思う。

さて、振り返ってばかりなのは性に合わない。
これから先、僕らはどんな風になっていくんだろうと、未来に目を馳せてみる。
多分活動自体は今までと変わらない。
皆の都合がつけばライブをやるし、都合が合わなければやらない。
無理にやらなければならないものでもないしね。
僕らはもう壮年で、家庭に仕事にと抱えるものも多い。
抱えているものを蹴ってでもバンドをというには歳を取りすぎたし、いい意味でそんなに気張ってもいない。
というかそれが当然だしね。
3人のタイミングが合ったときにライブやっていくというスタンスは今までと変わらない。
でもやるからには本気でやろうと思う。
みんなが驚いて、僕らもワクワクするようなことをやっていきたい。
最近everything-differentというバンドが自分の中に存在するのが、全てOKになったと感じることがある。
自分の中でようやく自分の中に自然にバンドが入ってきたような、手っ取り早く言えば、気張らずともバンドが自分の日常生活の一部として腑に落ちたような、そんな感覚。
僕らは極論を言えば一人一人で曲を作れるし、映像も作れる。
デザインも出来る。
ホームページだって各々作れる。
案外ライブとか音楽の事案じゃなくても3人で意見を持ち寄ることも多い。
一応バンドという形態だけれど、多方面でいろんなものを創っていけたら絶対に楽しい。
今後も多分、everything-differentという生き物は姿形をその都度変えながらウネウネと活動していくんだと思うし、何よりそうしたいと思ってる自分がいる。

大局的にはこんな感じだが、12月29日に僕らは仙台でライブに出演する。
今年はいろんなイベントにお誘い頂いたが、新庄のホールだったり、山の中での霹靂祭だったり、山辺町の街のど真ん中だったりと、ライブハウスでの出演が無かった。
今年の締めくくりにライブハウスに回帰して、みんなで楽しんで結成11年目を迎えたいと思っている。

あー、長かった…