親として子供達のいじめについて考える

前回のエントリー長くてエモかったねw
でも皆さん案外長文耐性あってなおかつエモい内容がお好みなのか、当Blogエントリー記事で一番「いいね!」を頂いた。
調子に乗って、書き起こしてみたはいいもののあまりに過激でエモくてボツにした記事をアップしてみた。
お子様のいる親御さんも、これからご結婚して子供が欲しい方も、子育てが終わった方も、そして残念ながらこれから先もご結婚出来る見込みは無いけど子作り行為だけはしたい方も、是非僕と議論して欲しい。
ちなみに断っとくが、僕の子供達がいじめ問題の当事者だったりしないのであしからず。





いじめは増えている

10月29日付けの山形新聞にとある記事が掲載された。
これを紙面で読んだ時は悶々とした。
文部科学省の調査で、全国の学校が昨年度に把握したいじめ件数は過去最多の22万4千件だったそうだ。
記事中にもあるが、実態調査の精度が上がったからこその数字なんだろうけど、それでもこの数字にはゾッとさせられる。
そしてこれは絶対に氷山の一角なはずで、把握仕切れていないだろう水面下でのいじめ案件はこの数字以上に多いだろうということは想像に難くない。
学校は勉学だけじゃ無く、社会の中での身の置き方みたいなもんを学ぶ場だとも思ってるんだが、さすがにこの数字を見ると背筋が凍りつく。
いじめという構図には被害者の他に必ず加害者の存在もある訳で、現在就学中の児童・生徒数が何人なのかは知らないけど、児童・生徒の大半がいじめ案件に関わってんじゃないか?と感じてしまう様な空恐ろしい数字だということは理解した。


昔のいじめと今のいじめ

最近話題になったいじめ案件と言えば、今夏青森県で発生したいじめられてた被害者の自死だろう。
とても心が痛んだ。
似た様な案件が大津市でも発生したし、残念ながら数年前には僕が居住する天童市でも発生した。
この手の案件は嫌になる程頻度を増してメディアを賑わす。
振り返れば1993年には新庄市で山形マット死事件も発生した。
少年法改正への気運を醸成した象徴的事件として今日でも取り沙汰されているし、そのせいでネット上では本県を「マット県」という不名誉な呼び名でディスる輩も多々存在する。

そもそも子供達のいじめなんてもんは昔から存在していたし、僕ら世代が子供だった頃でも当事者であろうがなかろうがいじめに対する認識はあったはずだ。
でも最近のいじめは昔のそれと比べるとより狡猾で分かり辛くなっている気がする。
昔のいじめは暴力や悪口、陰口の類いが多かった気がするけど、そんなもんは分かりやくて可愛い方で(いじめに可愛いもへったくれもないんだが)、最近はテクノロジーを無駄に使ったSNS内やLINEでのいじめが目立つ。
だから陰湿さも目立つし、しかも大人が把握も介入もし辛い。

これは子供に携帯電話を持たせる是非にも繋がるためサラッと済ますけど、僕の持論は「ガキに携帯持たせてもろくな事にならない」という事だ(ただし、地域に変質者等が出現した場合の緊急連絡や自衛のために持たせるという意見もあり、なかなか悩ましいところなのだが)。
最近のいじめ案件で散見するのは、執拗にSNSやLINEなんかで集団が個人をいじめ抜いているという点だ。
人が発する声や文字、メッセージってものすごいエネルギーを持っている。
それがポジティブなベクトルだったらいいけれど、ネガティブなベクトルのエネルギーが多方向から一斉に自分に向けられたらたまったものではない。
しかも自分はそんなことをされる謂れはないのにも関わらず、ネガティブなエネルギーが向かってきたら簡単に心が折れる。
大人でもそう思うのに子供が耐えられる訳がない。

そして(度が過ぎる発言なのは重々承知しているが)子供は無限の可能性を持ったバカだ。
そう、子供はバカなのだ(バカという言葉に嫌悪感がある人は、バカを無知に変換して読んでほしい)。
バカだから愛おしいのだけど、バカだから群れたがるし、バカだから無意識に群れの中にヒエラルキー社会を作りたがる。
そんなバカがいじめを助長出来てしまう携帯電話を持ったらどうなるか?
与える大人が子供の携帯電話をしっかり管理すればいいだろう?
そんな意見もあると思う。
でもそれも無理だ。
何故か?
僕の身の回りには「使い方が分からないから教えて」と安易に僕にスマホの使い方を聞いてくる大人が嫌になるほどたくさんいる。
そのスマホで使い方調べろよとも思うんだけど、どうやらそういう大人は知的好奇心というものをどこかに置いてきてしまっている。
だから自分の目的を他人に依存し安易に問うて、自分で調べることなど一切せずその時だけ理解した様な気になる。
聞かれた側の労力やそのために使った時間なども気にせず、元々好奇心がないから自学せずスキルも身につかず、同じことを繰り返す(ちなみにどんなに頑張って自分で調べても解決しないって方にのみ、超笑顔でご相談に応じるようにしています)。
そんなスキルも知的好奇心も無い大人が、生まれた時からデジタルデバイスが身の回りに溢れている、いわゆるデジタルネイティブ世代の子供達に自ら与えたデバイスを完全に管理出来る訳がない。
子供はバカだ。
だけどデジタルネイティブ世代はデジタルデバイスに全く抵抗がない。
そしてテクノロジーの功罪なのか、教育環境が昔より改善しているからなのか、バカのくせに無駄に賢い子供が増えた気がする。
バカで無駄に賢いガキが携帯持つとどうなるか?
火を見るよりも明らかだ。
子供はバカだからこそ家庭内や学校で大人の施しが必要なんだけど、大人側も知的好奇心やスキルがないから抑えられない。
そもそも大人でもLINEのグループメッセージに振り回されてる人もたくさんいる。
そんなんだったら子供に携帯なんぞいらない。
いじめを助長するだけだ。


親にも問題がある

あとは僕ら親側にも問題はたくさんあると思う。
父兄の集まりで、見るに耐えないくらい同じメンツと群れてる人達いませんか?
そして無自覚にヒエラルキー社会を作りたがってる人達いませんか?
そして知的好奇心が無く下らない話や見下してる人の悪口言ってる人達いませんか?
これは決して上から目線ではなく、もしかしたら僕だって無自覚にそういうことをやってるかもしれない。
怖いのは、子供はバカだけど僕ら親のことはよく見ているということだ。
親が同じメンツと群れたら子供も同じメンツと群れる。
親がヒエラルキー社会を作って他の人をカースト制度の底辺に見たら、子供も同じことをする。
そして知的好奇心の無い親に育てられた子供は知的好奇心が無くなる。

無駄に同じ人と群れたがる。
無駄にヒエラルキー社会を作りたがる。
知的好奇心が無い。

ほらほらほらほら、これっていじめっ子にもみえるし、いじめられっ子にもみえるよね?
子は親を写す鏡なんて言うけど、いじめっ子の素養、いじめられっ子の素養を形成するのは僕ら親の責任も多大だと思う。

じゃあ同じ大人でも学校の先生方には責任はないのか?
というかそもそもいじめの原因の責任を先生方に一方的に押し付けるのは良くないことだと思う。
確かにいじめは主に学校の中で発生している。
けど、いじめの根本的な原因は先生方に無い(と思いたい)。
そりゃいじめがあるのに見て見ぬ振りする教師なんかはクソだ。
ましていじめを助長するような教師なんかはクソ以下の産廃物だ。
いじめが大っぴらに問題になる時に、必ず学校側の問題も取り沙汰されるが、その前に子供から事の真相を話してもらえなかったのだとしたら親にも問題があるし、もし親が学校に相談しても何も動いてもらえなかったりしたら、もっともっと僕ら親が動いて事をどんどん大きくすればいいだけだろう。
それで周りにいくらキチガイ扱いされたってそんなもんどうでもよくねえか?
だって自分の子供が、自分の分身が、謂れなき理由でいじめられて最悪死ぬんだぜ?
やり方なんかはいくらでもあるんだから、それをやらずに先生に責任を押し付けるのは親の怠慢だし、被害者の親が自分のためになんでもやる姿って、子供にとったらよっぽど救われるはずだ。

先日ウチの娘の学年行事の懇親会で、お世話になってる先生方を囲んで色々と話を聞いた。
今は子供達に手を出すのは絶対にNGなのだそうだ。
そりゃ怪我させたら責任問題になるし、そうじゃなくてもモンスターペアレントもいる。
先生方も大変だ。
でも僕らが子供の頃は体罰教師なんかゴロゴロ存在した。
平手打ち、ゲンコツなんかは当たり前だったし、ケツバットの刑に処されたこともある。
そん時はえらくムカついたけど、でも今では笑って思い出せるし、そういう先生って案外仲良くなれた。
僕らの親世代も、子供が先生に体罰受けても感謝することはあれど、それに対して抗議したなんて話はあまりなかったように思う(これは僕が知らないだけかもしれないが)。
何度も言うけど子供はバカだ。
バカに言葉で言い聞かせたって、効力あるのはほんの少しの時間だけだ。
例えその時シュンとしても30分経てば全て忘れてヘラヘラし始める。
痛みを伴わないとそれが悪いことだなんて子供には分からない。
なんなら特例で僕の子供達だけでもいい、先生方には指導のための愛の鞭を施して欲しい(でもそれが愛の鞭じゃなければ教師とはいえいかなる方法でもツブすけどな←こういう親をモンペと言うんですよね分かります僕モンペです)。
そして親を愛しているが故に、親の気持ちを知っているが故に、かえって親にいじめの事案を話せないなんていう子がいたら、先生方にはビンビンにアンテナ張ってその子の話を聞いてやって欲しい。


いじめの当事者となった時

どこかの芸能人の方も仰ってたけど、いじめの加害者は絶対悪だ。
よく加害者側が言い放つ「いじめられる方にも問題がある」なんていうのはただの言い訳に過ぎない。
加害者と被害者、悪いのは100%加害者だ。
これはもう、どんないじめでも絶対だ。
仲良しごっこをすればいいってもんじゃないけど、それでもいじめの加害者は絶対に悪だ。
では加害者である子供だけが悪いのか?
そうではなく、周りの大人も絶対に悪い。

子供を持つ親御さんは、自分の子供がいじめの被害者または加害者になってしまったら?なんて事を考えたことはあるだろうか?
もし考えたことが無いのであれば、それは想像力の欠如と言わざるを得ない。
「ウチの子に限って〜」なんて思ってる親御さんは、その子もあなたの頭の中も可哀想だから、その子の親をすぐに辞めた方がいい。
それは最早想像力の欠如ではなく、親である事を放棄している。
なんでも想定しておくのが大事だと思う。

僕はいじめの問題が大きく取り沙汰されるにつけ、子供達と膝を付き合わせてこんな話をする。
「いじめをするヤツは最高にダサいし最高にカッコ悪い。何よりそんなヤツは悪人だ。君達がもしいじめをするようなヤツになってしまったら、そんなヤツは僕の子供ではないから顔も見たくないし目の前から消えてもらう。でもダセーヤツらにもしいじめられたら、何が何でもどんな手を使っても全力で君達を守る。」
息子はまだ幼稚園児だから、全く意味が分かっておらずヘラヘラしてるが(そしてトーマスの話をされて話の腰を折られるのだが)、小学2年生の娘は真剣な顔で聞いてくれる。
時折こうやって話をすることが、加害者になることへの抑止力に、また、被害者になってしまった時の逃げ場を作ってあげることだと信じている。

こんなこと書いたって、いじめは絶対に無くならない。
どんなに頑張ったって戦争や争い事が無くならないのと同じで、いじめは無くならない。
そんなことは分かっている。
ただ、自分の子供達がいじめの当事者になることだけは絶対に避けさせたい。
子供のケンカに親が出るのはみっともないけど、いじめはケンカじゃない。
一方的なリンチだ。
我が子がリンチに合っている、もしくはリンチに加わっているのを黙って見ていられる親がどこにいるというのか?
そうなることを未然に防ぐために僕ら親が日頃気を付けなければならないし、そして万が一自分の子供達がいじめの当事者になった時親である僕がどう動くかを考えておかなければならないと思っている。

最後に、想像するのも苦痛だが、僕の子供達がいじめの当事者になった場合。

いじめの被害者になってしまって万が一最悪の事態が起こったら、僕は加害者全員、人間の皮を被った悪魔を躊躇なく殺す。
そしていじめの加害者になってしまったら、子供達を殺してそんな絶対悪を育ててしまった自分を恥じて僕も死ぬ。

言葉は過激だが、僕の嘘偽り無い本音だ。
決して冗談では無い。
僕の乱暴な言い草に気分を害した人もいると思うし、気分を害されたのなら大変に申し訳なく思う。
でも誰がなんと言おうと僕はこのエントリー絶対に消さねーから。
どうか皆様、このエントリーはどんどんSNSでシェアして欲しい。
娘の通う学校の保護者や教師、息子が通う幼稚園の保護者や保育士に見られたって構わない。
むしろ見て欲しい。
そしていろんな意見を聞かせて欲しい。
結局周りの環境と親次第でいじめを助長することも抑止することもできるんだから。

繰り返し言っとくが、こんなエントリーをしたけど僕の子供達がいじめの当事者になっているなんて事実はないのでご了承あれ。

いじめっ子の皆さんへ
いじめってクソダセーよ。
そしていじめっ子のお前もクソダサくてカッコ悪いよ。