ソーシャル疲れ再び三たび

先のエントリーで述べた様に、Facebookの公開範囲を変更した。
一晩明けて何件かのフレンドリクエストを受け取った。
笑って保留している。
なんだか急に滑稽に感じてしまった。
焦燥感を感じてしまった。
虚無感を感じてしまった。






FOMO

Facebookのタイムラインを眺めていると、みんな楽しそうだなという感覚に陥ってしまう瞬間がある。
実生活ではほとんど会うこともない数百人に及ぶ「友達」が美味しそうな食事、親密な友情、華やかな週末について絶え間ない投稿を行っている。
それらと比べると、自分の送っている生活はいかにも退屈に思え、不満に感じてしまう。
こういった投稿を大量に繰り返し見せられれば、自分の人生にももっといい選択肢があるのではないかと考えてしまう。
誰かしらが何処かしらで常に自分よりも楽しい生活を送っているのだから。
ソーシャルネットワークに投稿される友達の刺激的な近況を見るたびに、はたして自分は本当に充実した生活を送っているのかと不安になってしまう。

この不快な感覚を最近ではFOMOと呼ぶらしい。
「Fear Of Missing Out」、つまり「取り残される不安」。
FOMOは現代の情報過多社会の副作用だと思われがちだが、調べてみると実はその歴史は有史以前にまで遡ることができるらしい。
古代社会においてはグループ内で孤立するということは死刑宣告と同じ意味を持っていた。
私たちの原始的な脳は、疎外されることを恐れ、他者に認められることを渇望するようにできているらしい。
たとえグループへの帰属が生死に直結しなくなった現代においても、この本能はFOMOという形で私たちに影を落としているのではないだろうか?


ちょっとだけ疲れた

長々と書いてしまったが、何を言いたいかというと、ちょっとだけソーシャルネットワークに疲れたということだ。
「他人」を羨ましく思う反面、先のエントリーでも述べた様に「他人」の陰湿な監視下に晒されているような感覚。
「楽しいことはすべて私がいないところで起こっている」という考えは幻想だということは理解している。
実際には、皆が自分の体験の中から楽しそうなものだけを選んでオンラインに公開しているに過ぎない。
私は、誰もがこのような演出をしているということをついつい忘れがちになる。
そして自分もこのような演出をしているということをついつい忘れがちになる。

ソーシャル疲れに関してはこれが始めてではない。
過去にも似たようなことをエントリーした。

Blog還り | entrance / exit

結局このエントリー以降もなんとなくまたソーシャルネットワークを再開し、なんとなくまたソーシャル疲れに陥っている。
あまりにも学習能力がなくて自分の不甲斐なさに辟易するのだが、この辺でもう少し落ち着いて自分の生活、自分の内なる声に目を向けてみたいと思う。
アクティブにソーシャルネットワークの流れに身を委ねるのをいったん辞めてみたいと思う。


Blog

そんなことを言っておいて、多分、おそらく、いや絶対に私はソーシャルネットワークを再開するだろう。
どうせ口だけだろう?
そう思われる方も多数おられると思う。
どうせ口だけだと思う。
自己顕示欲が強いのは自覚しているから。
またアカウントも削除するつもりもない。
ソーシャルネットワークで業務の連絡をする局面も多々あるから(それを言い訳に逃げ場を残すヘタレなのだが)。
頂いたメッセージやレスポンスには反応はするつもりだ。
でも、ソーシャルネットワークへの投稿はあくまでも「消費物」と考えて、自分の主観などはこの場所、このBlogに書き示していきたい。

自分が書いた文章はとても面白い。
「自分は文章を書く才能があるのではないか?」と錯覚してしまう程に面白い。
その理由はおそらく、文章のバックボーンが非常にリアルに感じられるから、という点だろう。
文章というものは無から生じる。
始めにこねくり回されるのは飽くまで自分の頭の中においての話であり、それは「書く」というプロセスを間に挟んで初めてテキストとして書き残される。
故に、その文章を書いた「履歴」というものは脳内に生々しく刻まれている。
自分の書いた文章を読むというのは「追体験」なんだと思う。
その文章を書いた当時の自分の思考、状況、感情が全て掘り起こされる。
つまり自分が読む自分が書いた文章というのは基本的に名文なんだと思う。
ソーシャルネットワークに書き込んだ自分の文章にはそれがない。
考えて投稿していないから。
そのお気楽さがソーシャルネットワークの醍醐味といえばそうなのだが、何も考えていなくても自分が発した言葉が、文章が「消費物」になるのは耐えられない。

他人様がこのBlogを面白いと感じてくれているのかは分からない。
多分面白くないだろう。
でもほんの少数ではあるが、面白いと言ってくれる人もいる。
他人様を羨んで、競うように自分を着飾るのは辞める。
ここで自分の本音を書く。
ここで自分をさらけ出す。
誰のためでもなく自分のために。

最後に日本の戦後占領期の統治者、ダグラス・マッカーサーが議会辞職に際して述べた言葉を引用してこのエントリーを結ぶ。

Old soldiers never die, but fade away.
老兵は死なず、ただ消え去るのみ。

またソーシャルネットワークを再開したら笑って下さい。