我劣等感ヲ払拭ス

“俺は山形生まれHipHop育ち”
“悪そうな奴は大体友達”
DragonAshの名曲の歌詞を引用して自己紹介してみました、渡邊ですYO!
まあまあ大体当てはまっているんですYO!
若い頃に自分の好きなことしかやってなかったツケが大人になって劣等感として襲ってくるんですYO…





我ニ学歴ナシ

昔から「やれば出来る子」と言われ続けながらも、やらずに過ごした「やれば出来る子」。
スケボー・スノーボード・バンド活動・ファッション関係など自分の好きなことにしか興味を示さない「やれば出来る子」。
高校への進学も「自転車で通えるから」との安易な理由で近場の工業高校へ。
そこで、コンピュータープログラミングなど、多少授業で興味のあるモノもありましたが、それでも「やれば出来る子」は勉学に励まず、勤しまず。
推薦をもらえて取り組むことになった専門学校への受験も
「お前が医療系の学校に合格出来たら牛丼奢ったるわプゲラッ!」
とのたまう友人の言葉に、
「言ったな、お前っ!?ぜってー牛丼奢れよ、特盛卵付きなっ!?」
と半ば牛丼目当てで合格してしまいました(合格後牛丼は奢ってもらえませんでした)。

専門学生時代も御多分に洩れず。
好きなことばかりで「やれば出来る子」は勉学に励まず、勤しまず。
卒業時に受験する国家試験も2ヶ月前からの付け焼き刃の勉強のみで、何故か臨床工学技士国家試験に合格してしまいました(受験後に自費で食べた牛丼美味かった)。
今だに何故合格したのかよく分かりません。
多分マークシート方式だったため、勘が冴えわたっていたのでしょう。

そして会社訪問のみで何故か現在勤務している会社に就職が決まってしまって「やれば出来る子」は現在に至っています(現在の会社に入職出来たのは本当にありがたく思っています。こんなに自分の能力を発揮出来て、自分の好きなことを思う存分出来るところは例え大手だろうが存在しないでしょう)。

以上、経歴を晒してお分かりの通り、私には誇らしい学歴というものがありません。
自業自得と言われればそれまでです。
ですが、自分に求められた業務内容がよっぽど肌に合ったのでしょう。
入職してから数年間はそれこそ死に物狂いで勉強し(楽しかったので勉強しているという意識は無かったのですが)、何も考える余裕がありませんでした。
ある程度業務をこなせる様になりふと我に返った時、何故か「学歴コンプレックス」という名の劣等感が自分を襲う様になってきたのです。


学歴コンプレックス

考えてみればおかしなモノです。
なんの努力をする事も無く鼻水垂らしながら遊び呆けてた小僧が、「神童」と言われていたであろうお医者さん相手に仕事をしているんですから。
一流大学を卒業し大手と言われるメーカーに入職した営業の方々と交渉事をしているんですから。
私が入職した頃のメーカーさんは、種々様々な、ユニークな経歴を持っておられる方々が沢山おられました。
私の様な代理店から転職した方もたくさんおられました。
いつの頃からでしょう?
今メーカーさんに就職される方々は(転職組を除く)「何故ここで仕事をしているんだ?」と思う程の学歴を持っている方が沢山いらっしゃいます。
現場叩き上げの私から見れば、見るからに賢そうな彼らは羨望の眼差しなんですよ。
それと同時に感じる必要のない強烈な劣等感…
せめて自分も大学進学すれば…
それだけの努力をしていれば…
見える世界が変わっていたのかなあ…
後悔先に立たず…
覆水盆に返らず…


目の覚めるひと言

そんな昨年末、取引先メーカーさんと食事に行く機会がありました。
楽しい話をしているうちに自然にそんな話になり軽く愚痴っている自分。
私のそういう鬱々とした学歴コンプレックスはその方にも伝わっていたのでしょう。
思いがけず胸を打つ言葉が返ってきました。

「(自身の経験を踏まえて)大学を出た人間は、そこに入るために必死で努力した。就職活動も必死で努力した。だから卒業できたし就職出来た。同じ時期にあなたは努力していたのか?」
「でも仕事は学歴だけでは評価されない。あなたがその典型ではないのか?」
「どれだけ我々が現場で頑張ってもあなたはその上をいっている。時にドクターに相談を受けて、時にドクターと突っ込んだディスカッションをして、時にドクターの治療方針にもの申す。しかも分野も多岐に渡る。不整脈だけじゃない。心筋虚血、下肢虚血といとまが無い。そんなことが出来る営業マンを自分は知らない」
「上の次元で仕事をしているあなたが、わざわざ下を向いてコンプレックスを感じる必要はない」

ハッとしました。
今まで感じていた劣等感がスッと無くなっていくのを感じました。
決して自分が持ち上げられたからではありません。
決して自尊心をくすぐられたからではありません。
彼らが努力をしていた時期に私は努力をしていなかったのだ。
私は努力をする時期が遅かったのだ。
私はこの仕事を始めてから人よりも努力しただけなのだ。
ただそれだけのことだ。
今までヘドロの様に身体に巻き付いていた劣等感がスッと無くなっていくのを感じました。
心底感謝しています。


学歴は人生にどれほど影響するか?

僻み根性無しで、学歴は人生にどれほど影響するかを自分なりに検討してみます。

まず、就職活動。
これは正直かなり影響するでしょう。
企業の採用時の「学歴不問」は、言葉通りに受け取らないほうが賢明かもしれません。
一方で転職活動となると、就職時に比べれば転職は学歴の影響が減少すると思います。
年収、昇進においても、学歴が多少なりとも影響する様な気がします。
完全な実力主義の会社もあるでしょうが、伝統企業においてはやはり学閥は健在で、入社時のみならず出世においても、出身大学名が重視される傾向はまだ根強いのではないでしょうか。

学歴の影響は、結婚や恋愛にまで及びます。
恋愛はともかくいざ結婚となると、出身大学、その先の就職先企業のブランドや年収、出世といったものが、直接大きく影響しそうです。
本人同士は気にしなくても、親世代は多少なりとも気にするのかもしれません。

やはり、出身大学の名前だけではなく、大学での多彩な出会いや人脈形成、就職活動における卒業生の支援など、大学の持つリソースの差が、こうして人生にも影響していくのではないでしょうか?
学歴が私生活における満足度や幸せ度に影響するとは必ずしも言えませんが、仕事では多少なりとも影響するというのが実情なのかもしれません。

しかし、前述したメーカーさんの言葉で私はこう思う様になったのです。

「自分が成功しないことを学歴のせいにするのは不幸の始まり、成功した人は自分の学歴など気にしていない」

学歴とその後のステータスには相関関係があり、学歴が幸せ度にも影響していることは事実でしょう。
しかし就職してしまった以上、学歴のことなど気にしていても仕方がありません。
学歴にこだわるのって、社会的、精神的に恵まれていないんじゃないかと思えるようになりました。
高学歴の人は「オレは○○大学出なのに」、低学歴の人は「自分はしょせん××だから」と、学歴を引きずっています。
でも、社会に出てしまえば実力勝負で、学歴など全く関係ありません。
学歴よりも個人の能力差です。
事実、転職になるとそれほど学歴は関係ないのですから。
仕事の満足度や幸せ度を学歴のせいにするのは、責任転嫁なのだと思える様になりました。

そして身の回りを見渡すと、私よりも少し上の世代、40代のバブル世代の生き方は学歴コンプレックスをさらに払拭させてくれます。
今の40代は、就職難の若者には気楽に見えるでしょうが、割とたくましく、そして図々しくバブルもリーマンショックも乗り越えてきました。
若い頃はそれほどお金もないのにクルマを買い、スキーやデートにお金を使い「今」を精一杯楽しみました。
20代の若い頃に堅実になり過ぎず、今を楽しむ体験をした方が、年をとっても幸せ度が高いのではないでしょうか?
若い頃から堅実に生きることで、使い物にならない40代になってはいけないと、彼らを見ていると思うのです。

学歴のせいにせず、何事も楽しむこと。
経験を積み、大人の世界に場馴れをすること。
それが学歴に縛られた独りよがりの世界から大人の実力社会への脱皮なのだと思います。
そう思わせてくれた方に心から感謝しています。


我覚醒ス

気持ちがスッと軽くなり、ますます業務にのめり込んでいる毎日です。
頼って頂ける先生方や病院のスタッフの皆様。
一緒に販売戦略を計画してくれるメーカーの皆様。
そして自分の好きなように動かせてもらっている上長に上司に同僚。
みんな褒めて下さいます。
もちろんお褒めの言葉は嬉しいです。
でもその度に元来のひねくれ者である私は「こんな自分で満足なのか?自分はまだまだ進化する。もっともっと出来るはず。」と思っています。
自分はそんな高尚な人間じゃない。
まだまだやれる。
ただ、自分の今までの努力には自信を持っています。
自惚れではありません。
「自信」というのは「自分を信じる」ことが出来ること。
「自惚れ」というのは「自分に惚れる」ナルシスト。
誰かと比較するのではなく、誰にも到達出来ない高みまで昇っていけるよう、今後も自己啓発を怠らずに精進に励みたいと思っています。

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ひたすらやったるYO!