雨潸々
“雨 潸々と この身に落ちて”
“わずかばかりの 運の悪さを 恨んだりして”
国民的歌謡曲「愛燦燦」の冒頭の歌詞です。
「潸々」を辞書で引くと「雨が静かに降りしきるさま」とあります。
2013年7月18日、梅雨明け直前の山形県は記録的な豪雨に見舞われました。
全然「潸々」じゃないッス、ひばりさん!
雨と洪水と私(部屋とワイシャツと私風)
その日私は山形県置賜地方の出先機関で業務しておりました。
ここ数日山形県内は不安定な空模様で激しい雨が数日に渡り断続的に降っておりました。
当日も出先に向かう早朝からから激しい雨が降っている様な状況。
業務中にスタッフの方々から聞こえてくる、近隣の河川氾濫と災害の情報。
最初こそ、すげー事になってんなーと他人事で会話に入っていたのですが…
「おまっ、ちょっ、待てよっ!?」(キムタクさんのドラマの演技っぼく)
私の産まれ育った実家は母なる川、最上川の畔。
まさかと思い実家の母に連絡すると、
「水すごい事になってるよー!家流されるかもねー!もし流されたら新居建てるまでアンタん家に住まわせてねー、アッハッハー!」
決して面白おかしく書いてる訳じゃなく、本当にお気楽口調でこんな事をのたまう我が母陽子、もうすぐ還暦…
「おまっ、ちょっ、待てよっ!?」
と私がキムタクさん風に言葉を発する間も無く電話をガチャ切りされる始末…
仕方なく父に連絡入れると、
「あー、大丈夫じゃねー?過去にも鉄砲水あったけど浸水しなかったしー。それより今から大事な会議なんだよねー。土曜から出張だしー。」
「おまっ、ちょっ、待てよっ!?」
「プッ、プーッ、プーッ、プーッ」
電話切りやがった我が父正行、最近ギックリ腰発症…
親父よ、お前が社内で大事なポジションを担っているのは分かる。
でもよ、住む家がヤバイ事になってんだぞ?
ダメだ、我が両親に全く危機感無し…
出先から爆速で事務所に帰還、事情を上長に説明しまたまた爆速で実家に向かう事に。
見た事の無い光景
「なっ、なんじゃ、ごりゃー?」(殉職間際のジーパン刑事風。分からない世代の人はググってね)
我が目を疑うとは正にこの事。
目の前には今まで見た事無い様な光景が広がっておりました。
平時は木々の向こう側を雄大に流れる最上川ですが、完全に水位爆上げ。ちなみに写真見切れてますがすぐ下が足元です。
別アングル。私の記憶では手前には畑があったはずですが…私記憶喪失ですか?
ロープ張ってある位置よりも実家は海抜低いんです…事件現場かここは?
クソデカい橋に物凄い量の水が打ち付けています。これなんてSMプレイ?
この洪水の模様をiPhoneで動画として記録してみました。
河川氾濫時は氾濫している近辺に近付かないというのは二次災害防止の為の鉄則という事は重々承知しております。
この動画は興味本位で記録したのではなく、私の実家が最上川の畔に立地しており、両親と祖母を避難させるために近付く事止む無しといった状況下で撮影したという事を予めお断りしておきます。
隣市に彼女とイチャイチャ同棲している弟もやって来たのですが、我が母陽子と
「かあちゃーん、腹減ったー」
「ご飯食べてから考えるかー」
なんて言う会話を繰り広げる始末…
一通り周辺の様子を見て回り実家内に戻ったら、チャーハン平らげながらパズドラプレイしてる我が弟…
オーゥ、ブラザー!
君の強心臓が心底羨ましいぞ…
避難勧告
父の帰りを待ってる間、市役所土木課の方々や警察の方々が矢継ぎ早に訪問。
「くれぐれも早めに避難して下さいねー」
とのご助言もどこ吹く風、我が家族は呑気なもんです。
父が帰って来ても、母と口を揃えて
「二階に寝るから大丈夫だー」
と呑気な答え…
強心臓の弟とガラスのハートの兄で必死に説得を行い、ようやく両親も重い腰をあげたのです。
もうこの人達役立たずっ!と両親に勝手にレッテルを張った私は様々に指示しながら避難の準備を始めました。
以下に個人的な覚書としてどんな事をしたのかを記しますが、これをやった方がよかったんじゃないか?と御意見のある方は後学のため遠慮なく教えて頂きたいです。
実家の周りの水に流されそうな物、流されたら困る物を高台に退避。
財産が無くなれば生活も困窮を極めますので、重要書類や印鑑は親父様が保管しているいろんな意味で中身を見るのが恐ろしい、重厚な金庫ごと持ち出し。
いろんな鍵束も一緒に。
幸か不幸か村山市は翌日断水になる旨アナウンスがあったため、大型ポリタンク2個に水を確保。
食糧も若干確保。
古い家ですので仏壇などもある訳で、御先祖様を濡らさぬ様高い場所に退避。
備蓄米なども同様。
万が一家に戻れぬ事態も考慮し2〜3日清潔を保てる様。
簡易な寝具も一緒に。
両親、祖母共若年ではありません。
特に祖母は常用の薬があるため、それらと簡易薬箱を持ち出し。
浸水した場合、最悪漏電からの火災が考えられるため。
火事場泥棒がいないとも限りませぬゆえ。
準備を終えた家族。
私の家に連れて来てもよかったのですが(事前に妻には了承もらってた)夜中容易に様子を見に行けない距離は困るとの事で、隣の地区に住む叔母の家にお世話になる事に。
叔母家族に迷惑かけられないとの事で、私も自宅に戻り言いようの無い不安な夜を過ごしました。
翌日の早朝
こんな有様ですと、やはりあまり寝れないもんですね。
珍しく深夜12時過ぎまで寝付けず、朝は4時に目が覚めてしまいました。
まだ睡眠中であった妻に様子を見に行く旨を伝え、娘には頬ずりしてあからさまに嫌な顔をされ、息子にはデコピンしてガン泣きされながらも自宅を飛び出し、実家へと向かったのです。
減ってる減ってるー!水位ストップ安ー!
畑見えたよー!里芋大丈夫ー!畑ー!畑ー!シャ乱Qもはたけー!
もう立ち入ってもいいっすよね、お巡りさん?
ご覧の通り、浸水してしまうのでは?という心配は杞憂に終わり、ホッと一安心。
実家の母屋内に何か無かったかを見るために実家へと足を運ぶと…
「なんか見た事ある車があるんすけど…」
昨日私が自宅に戻る際の叔母宅で、様子見に行っても念のため絶対に家に入るなと固く私と約束したハズの両親が、茶の間で仲良く並んで寝ているではあーりませんか!?(祖母は高齢のためそのまま叔母宅へお泊まり)
両親曰く、夜中に様子見に来たら水位が引けて来ていたのを確認したため揃って戻ったと…
もう圧巻ですわ、この夫妻。
ヘナヘナヘナという音が聞こえる位の脱力感に襲われました。
まあ無事で良かったよ…
極め付けが父の一言。
「俺、土曜から出張だから、お前家に来て避難で運んだ物とかちゃんと直しといてね。お土産買ってくるから。」
まあ無事で良かったよ…
実際私自身、無事に収束を迎えそうになった時「Blogネタ出来たラッキー!」と思ってしまいました(こんな自分が大嫌いでこんな自分が大好きです)。
一夜明けた本日は、憎々しい程の快晴でした。
愛燦燦と川の流れのように
喜劇の様ではありますが、両親、祖母と実家母屋は無事です。
気に留めて頂いた皆様、御心配をおかけいたしました事誠に申し訳ございません。
皆様方の御気持ち、大変痛み入りました。
改めまして家族全員で恩礼申し上げます。
誠にありがとうございました。
そして我が家よりも甚大な被害にあわれた皆様には心よりお見舞い申し上げます。
Twitter、Facebook、メール、電話で頂いた皆様方の励ましの御言葉、これから先忘れる事は無いでしょう。
荒んだネットの世界にも、血が通っている時もあると言う事を実感致しました。
自然災害って恐ろしいです。
不幸中の幸いですが、実家は最上川から緩やかな傾斜の上に立地しております。
水位が上がる様がまざまざと実感できる為、その恐怖たるや気が触れてしまうのではないかというレベルでしたが、その分水位変化に時間的余裕があり、悠長な家族でも事なきを得た様に思います。
これが土手のすぐ側の立地で、要の土手が決壊なんて事になれば、どうなっていたかと考えると寒気がしてきます。
また、図らずも家族が避難という状況に陥り、東日本大震災で被災された方々のお気持ちがほんのちょっとだけ分かった気がします(比較するレベルが違いますが)。
思えば私はずいぶん上から目線だった様な気がします。
「分かってあげてる」
「理解してあげてる」
心のどこかでそんな穿った見方をしていたのかな?と自責の念にかられました。
出来れば体験したくは無いのが本音ですが、避難せざるを得ない状況下での、避難までのプロセスを経験した事により、家族の尊さや自らが生まれ育った土地や家に対する気持ちを再確認する事が出来ました。
何よりも本当に家族が無事で良かった。
天気予報では山形はまだまだ不安定な天気が続きそうです。
地域により本日午前中より断水も続いておりますし、油断せず有事に備え大事なモノを守れる様務めていきたいと改めて決意し、このエントリーを結びます。
「雨」「川」にちなんで美空ひばりさんの名曲を貼っておきますので、こちらからどうぞ(←コイツ懲りてない)