音楽の力

年始早々昨年末の話で申し訳ありません。
皆様は大晦日のNHK紅白歌合戦はご覧になられたでしょうか?
Twitterをしながら、ある意味小馬鹿にしながら視聴していましたが、とあるアーティストが音楽の力をまざまざと感じさせてくれました。
身震いがしました。
このときの衝撃を忘れないために備忘録的エントリーです。





ヨイトマケの唄

そのアーティストは美輪明宏さん。
歌った曲はヨイトマケの唄
私のごたくを並べても仕方がありません。
この動画をとくとご覧あれ。
(NHKさんに削除されてしまうかもしれませんが、その場合はYouTubeで検索してみて下さい)

ヨイトマケの唄(ヨイトマケのうた)は、美輪明宏(当時・丸山明宏)が自ら作詞作曲した1966年のヒット曲。
美輪が幼少時に一緒に育った友人の亡き母を回顧する歌である。
主人公の過去には幼少時、母親の職業(日雇い労働者)がきっかけでいじめを受けた悔しさなども折り込まれている。
「ヨイトマケ」とは、かつて建設機械が普及していなかった時代に、地固めをする際に、重量のある槌を数人掛かりで滑車で上下する時の掛け声であり、美輪によれば、滑車の綱を引っ張るときの「ヨイっと巻け」のかけ声を語源とする。
この仕事は主に日雇い労働者を動員していた。
作詞作曲のきっかけは、興行主の手違いで炭鉱町の劇場でコンサートをすることになったことに始まる。
当時きらびやかな衣装でシャンソンを歌っていた美輪は、炭鉱町でのコンサートに乗り気ではなかったのだが、炭鉱労働者たちが安い賃金をつぎ込んでチケットを求め、客席を埋め尽くしているのを見て衝撃を受け、「これだけ私の歌が聴きたいと集まってくれているのに、私にはこの人たちに歌える歌がない」と感じて、労働者を歌う楽曲を作ることを決意したという。

歌詞の中に差別用語として扱われる「土方」(どかた)「ヨイトマケ」が含まれている点などから、日本民間放送連盟により要注意歌謡曲(放送禁止歌)に指定された事でそれ以降民放では放送されなくなる。
この制度自体は1983年に廃止されたが、実際は廃止された後もしばらくの間この制度の影響を受け続けることになる。
1990年に美輪が『ぴりっとタケロー』(TBS)に出演する際にこの歌を披露する予定だったが、放送局のTBSから歌のカットを求められた。
出演依頼があった際、美輪は歌無しの出演を希望したが、制作会社の強い希望で本曲を歌うことになった。
ところが、放送日2日前に突然「歌は止めて欲しい」という申し出を受ける。
一方的に二転三転する申し出に美輪は憤慨し、出演自体を取り止めた。
このことがきっかけで美輪はテレビで最近まで歌うことを避けていた。

1998年に村上“ポンタ”秀一のアルバム『Welcome To My Life』に収録され、泉谷しげるが歌った物が『ニュースJAPAN』(フジテレビ)で流れた事で久々に公共の電波に乗り、更に2000年には桑田佳祐が自身の番組『桑田佳祐の音楽寅さん 〜MUSIC TIGER〜』(フジテレビ)にてこの曲を歌った事で大きな反響を得る。
この際には、テロップにて「この唄は、俗に放送禁止用語と呼称される実体のない呪縛により長い間、封印されてきた。今回のチョイスは桑田佳祐自身のによるものであり、このテイクはテレビ業界初の試みである」との説明が付されていたが、以降多くの歌手がテレビでも歌うきっかけとなった。

なお、NHKでは発表当時から一貫して放送自粛の措置はとられておらず、美輪本人による歌唱はもとより、様々な歌手によるカヴァーも放送されており、2012年12月31日には美輪はこの歌で第63回NHK紅白歌合戦に初出場した。
77歳での初出場は史上最年長、デビュー60年での初出場も史上最長記録である。
歴代出場者全体の年齢から見ても、第40回(1989年)に満78歳で出場した藤山一郎に次ぐ歴代2位であるなど、様々な話題を呼ぶものであるが、美輪本人は「この歌がヒットした50年前にも紅白出演のオファーがあったが、歌唱時間の問題で辞退した」と回想している(当時の紅白では歌手1人につき3分以内という時間制限が設けられており、この歌も大幅に歌詞を省略して歌うことをNHKから求められたが、美輪本人はあくまでも歌詞の省略はできないと主張し、当時のオファーを辞退せざるを得なかったという)

ヨイトマケの唄 – Wikipediaより引用


パンクロッカー美輪明宏

素晴らしい。
音楽の力って本来こういうものだよねーとしか言えません。
上手く言い得る言葉が見つからないんですが、何つーかこう、腹の底から身震いがしました。
美輪さんのこのパフォーマンスと比較すると、申し訳ないんですが他のアーティストは薄っぺらく見えてしまいます(矢沢永吉さんは除く)。
若かりし頃の美輪さんは、かの文豪三島由紀夫の寵愛を受けたといいます。
ただ両者が同性愛的嗜好を持っていただけという理由ではなく、才能と才能がぶつかり合い、惹かれていたんだろうなぁと容易に想像が着きます。

また上記引用文にもあるように、いわく付きのヨイトマケの唄を、ある意味日本で一番ポピュラーな音楽番組である紅白歌合戦で歌うというのも、非常に意義深い事だったのではないでしょうか?
民放ではしばらくタブー化されていた(NHKでは放送自粛措置はしていなかった様ですが)、ある種マスコミによって危険視されていた歌を堂々と歌い上げる美輪さんは、陳腐な言葉ですがとてもカッコ良かった。

実際問題日本の音楽シーンは現在風前の灯です。
iTunesなど音源のインターネット販売の影響かCDの売上は激減、バブル期の様なメガヒットチューンなど皆無、というか、ここ最近のJ-POPで心を打たれた作品は?と問われたら何も答えられないのは私だけでしょうか?
「煌びやかにするだけがショービジネスではない」
「音源に投票券を付録化し売上をあげるなんざ、もはや音楽を冒涜している」
昨日の美輪さんのパフォーマンスは、そういう現在の日本の音楽業界に対する強烈なアンチテーゼを体現している様かの様に見えました。
シャンソン歌手ではありますが、美輪明宏さんは希代のロックンローラーでありパンクロッカーだと感じましたが、皆さんはどう感じたでしょう?

あまりにも衝撃を受け、明けて2013年1月1日早朝にヨイトマケの唄をiTunesにて購入。
年の初めにいい買い物をしたと喜んでいます。


アマチュアバンドマンとして

美輪さんの音楽、ジャンルの垣根を越えてアマチュアバンドマンである自分の心の琴線に触れました。
自分が納得する音楽を創り、自分が納得するパフォーマンスをして、お客さんに喜んでもらう。
そこには媚びや駆け引きなどはいらない。
そういう突き詰めた音楽活動をしていきたい、そう思います。


追伸

昨日の美輪明宏さんのパフォーマンスが始まった瞬間、私は小馬鹿にしたツイートしていました。

美輪さん、小馬鹿にしててすいませんでした…
アナタは本物でした…
そりゃそうだよね。
ただの金髪のオバサン(オジサン)が、あの歳まで芸能界(音楽業界)で生き抜いていけないよね…
私が舐めてました…
最後に美輪明宏さんに最大限の敬意を評し、ヨイトマケの唄の歌詞を記載してこのエントリーを結びます。


ヨイトマケの唄

父ちゃんのためなら エンヤコラ
母ちゃんのためなら エンヤコラ
もひとつおまけに  エンヤコラ

1.今も聞こえる ヨイトマケの唄
  今も聞こえる あの子守唄
  工事現場の昼休み
  たばこふかして 目を閉じりゃ
  聞こえてくるよ あの唄が
  働く土方の あの唄が
  貧しい土方の あの唄が

2.子供の頃に小学校で
  ヨイトマケの子供 きたない子供と
  いじめぬかれて はやされて
  くやし涙に暮れながら
  泣いて帰った道すがら
  母ちゃんの働くとこを見た
  母ちゃんの働くとこを見た

3.姉さんかぶりで 泥にまみれて
  日にやけながら 汗を流して
  男に混じって ツナを引き
  天に向かって 声をあげて
  力の限り 唄ってた
  母ちゃんの働くとこを見た
  母ちゃんの働くとこを見た

4.なぐさめてもらおう 抱いてもらおうと
  息をはずませ 帰ってはきたが
  母ちゃんの姿 見たときに
  泣いた涙も忘れ果て
  帰って行ったよ 学校へ
  勉強するよと言いながら
  勉強するよと言いながら

5.あれから何年経ったことだろう
  高校も出たし大学も出た
  今じゃ機械の世の中で
  おまけに僕はエンジニア
  苦労苦労で死んでった
  母ちゃん見てくれ この姿
  母ちゃん見てくれ この姿

6.何度か僕もぐれかけたけど
  やくざな道は踏まずに済んだ
  どんなきれいな唄よりも
  どんなきれいな声よりも
  僕を励ましなぐさめた
  母ちゃんの唄こそ 世界一
  母ちゃんの唄こそ 世界一

今も聞こえる ヨイトマケの唄
今も聞こえる あの子守唄

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