普通とは?

10代後半〜20代前半の若者に問うてみたいことがある。
「アナタはどんな大人になりたいのか?」
なぜこのような事を言い出したか。
最近ふと考える事が多いのだ。
若い頃の自分の理想の大人像と、今の自分の姿の乖離に。
でも正直今の自分は好きだし、今の生活に幸せを感じている。
皆さんも、ご自分の過去と現在、そして未来を考えながらご一読して欲しい。






私の若い頃は、健康優良不良少年だった。
自己顕示欲が非常に強く、人と同じ事が大嫌い。
自分が一番、それを認めない人がいる場合は実力行使(平たく言えば喧嘩や暴力です)。
「アウトロー」な事に憧れて、いわゆる「普通」にはなりたくもない。
尖ってる大人になりたい、「普通」な大人になりたくない。
当時を思い出しながら書き起してみても、とても手に負えない悪ガキだった。


あれから10数年後、今の私はどうだろう?
地元企業に就職し、いい人に巡り会えて結婚し、子供も授かり、もうすぐ自邸も完成。
若い頃あんなになりたくなかった「普通」の生活を送っている。
しかもその生活にとても満足し、幸せを感じている。
そう感じるのは私が歳を取ったからなのだろうか?
それとも私は、もともと刺激が苦手な人間なのだろうか?
まだその答えは見つけられずにいる。


私が歩んできた「普通」な道は、私の親世代、つまり団塊の世代が歩んできた「普通」と非常によく似ている様に思う。
日本の高度経済成長期に職に付き、結婚し、子供を授かり、家族を作る。
自分達が日本を作るという気概に満ちた時代だったからこそ、そういった「普通」が「普通」と感じていたのかもしれない。
でも、今は決してそうではない。
1990年代初頭に発生したバブル崩壊。
一旦は景気が回復基調に転じたと思われたが、世界金融危機が顕在化した2008年以降は、バブル崩壊時よりも急激な勢いで世界的な不況となっている。
日々何か得体の知れない閉塞感のようなモノを強烈に感じている。
「ロスト・ジェネレーション」
「失われた10年」
などという言葉もある。
そんな今の時代の「普通」というのは、必然的に多種多様化しているのではないだろうか?
一昔前では当たり前だった事が出来ない。
いや、出来ないというよりそれをあえて選ばない人も沢山いる。
それを否定するつもりは毛頭ない。
つまりは、不景気で夢を見辛くなり、価値観が細分化し、良い意味でも悪い意味でも私が若い頃に憧れた「アウトロー」でいてもいい時代なのではないだろうか?


しつこいようだが、私は「普通」の生活をしている。
最近感じるのだが、「普通」の事を維持していく事が、実は一番大変なんじゃないだろうか?
今の私の現状を言えば、妻と娘の生活を支えなければならない。
そして、家を建てる事により、何千万円という住宅ローンと言えば聞こえのいい、体のいい借金を背負った。
当たり前だがとても責任重大である。
結婚したときもそう感じたが、もう自分1人の身体ではないし、私には家族の生活を守るという責任がある。
もういいかげん地に足をつけなけなければならない。
世の中には、それをすでに実行している方々が沢山いらっしゃる(まあ、当たり前の事なのだが)。
しかし、その当たり前の事を日々実行することが、とても凄い事だと思う。


今の若い世代は、将来どんな大人になりたいと思っているのだろうか?
彼らは俺らが若い頃よりもとても賢いから、しっかりしたビジョンを持っているのかもしれない。
先の見え辛い時代だから、堅実な、「普通」な将来設計を考えているかもしれない。
「普通」は「普通」で大変だよ。
でも、一番重要なのは、自分にとっての「普通」や「当たり前の事」って何かをしっかり見定めておく事の様に思う。
さあ、明日からも「普通」の生活を楽しもう!