40歳になりました

あれよあれよというまに一年が経過し、また誕生日を迎え40代に突入しました。
あご髭に白髪も目立つようになりいかにも中年の見た目となってしまい、若作り頑張ろうと思っている次第です。
本日はたくさんの方々にお電話やメール、SNSでのコメントやDMでお祝いの言葉を頂きまして、感謝の気持ちでいっぱいです。
まずはこの場を借りてお礼申し上げます。
40代初日に考えていることをちょっと真面目に書いてみようかな。





30代を振り返る

これまでの30代の10年間を振り返ると、一言で変化の10年だったと感じます。
結婚し、家族が出来、家を建てて自分の住処と守るべきものが出来ました。
人としてようやく少しだけ角が取れて丸くなれたかなと。
逆に言うと、エッジ削って丸くならざるを得ないほど、僕の人生の岐路という局面がたくさんあった10年間でした。
30代までは、良い意味でも悪い意味でもいろんなことにそれほど疑問を感じることなく、そこそこやってきました。
いろんなことにがむしゃらに頑張ってこれました。
それなりの成果も出せました。
楽しいこともあったし、まあまあ幸せでした。
ただ、悪い言い方をすれば、成り行き任せとは言いませんが、思慮が浅いままでここまで来てしまった感も否めません。

そんな僕でも昨年くらいから、「自分の人生、これまでなんだったんだろう?」とか「この先もこのままでいいんだろうか?」という問いかけが自分の中から疼いてくるのを、だんだん無視できなくなることが増えました。
また、今年年頭に骨折して長期入院を強いられてしまい、言わば人生側から強制ストップというか立ち止まる事を課せられました。
さらに、祖母を失い、生きることと死に様というものをリアルに感じて、言いようの無い不安に駆られました。
いろいろな事を考え直さざるを得なくなりました。

40代は「人生の折り返し」とも言われる時期。
前述のような精神的な揺らぎや転機は、俗に「ミドルエイジ・クライシス(中年の危機)」と言われるようです。
鬱や自死が増えるのも、このミドルエイジ・クライシスに陥った中年層に多いということも聞いたことがあります(全てを一括りにするのは危険ですが)。
でも、40代にして「人生考え直し」の機会がやってくることは、ミドルエイジ・クライシスという言い方や前述のような事象があるように、実は一般的なのかもしれません。
決して変なことでも特殊なことでもなく、これも人として正しい成長過程なんじゃないか?とさえ思います。


「これまでの生き方」を「次のステージ」に

40代、ピークを過ぎて下り坂…
一般的にはそんな風に考えるのが普通なのかもしれませんが、僕はそう思いたくありません。
むしろここからが次のステージへの道の始まりではないかと思うのです。
ただし、次のステージに進むには、これまでの生き方を振り返らなければなりません。

僕の「これまでの生き方」を鑑みると、「自分だけのため」か「よくわからないけどなんとなく」という、なんともお恥ずかしい2つのモードで生きてきたように思います。

ひとつめの「自分だけのため」モードは、とにかく自分のやりたいこと、好きなことを追求したり、どれだけ自分の力を発揮・誇示出来るかを重視して、達成に向けてがむしゃらに頑張る、エネルギッシュな自分だけの自己実現。
こう書くと聞こえはいいですが、言い方を変えれば、自分のことだけに精一杯でそれ以外に視野が広がらない、自分だけで精一杯な状態、自分ファーストとも言えます。

ふたつめの「よくわからないけどなんとなく」モードは、なんだかわからないけどあっちこっち彷徨いながら、自分らしさや自分の居場所がなかなか分からず、とりあえず日々を漠然と過ごす状態。

自己弁護になりますが、そんな今までの生き方がいけない訳じゃないし、それで一生をやりきるのも、そういう人生だって全然アリだと思います。
でも前述のように、人生には「次のステージ」ってものがあります。
40代の自分のステージ、それは「天命・使命」というものに生きるステージではないのか?と感じています。

自分の命・自分の力・自分の存在を、自分だけのモノにしない。
もっと多くの人のために、世の中のために、この世界のために自分という存在とその力を使っていきたいと願う、自分の中の愛情を多くの人に分かち合いたいと意志を持って行動する、それが「天命・使命」というものではないかと思っています。
言葉を変えればミッションです。
僕という存在が、この世界に果たせる役割。

そんな大それたこと、僕のような社会的地位も知名度もないヤツでは無く、誰か偉い人・特別な人がやればいいじゃんと思うかもしれません。
でも僕ら一人一人がいろいろな種類と役割と責任という形を与えられて、それぞれの「天命・使命」を持っているのではないかと僕は考えます。


「天命・使命」のステージに行くために

カッコいいことを書きましたが、おそらくその「天命・使命」のステージは、当然のことながらいきなり今日からやってくる訳ではありません。
待ってて勝手にきてくれることも無いと思います。
まずそれ以前の「自分だけ」とか「漠然」とかそういうステージを散々やってからでないと辿り着けないのが「天命・使命」のステージだと思うのです。
そしておそらく、その直前で「それまでの自分の棚卸」が必要になるんじゃないかと考えます。

「自分の人生、これでよかったんだろうか?」という疑問が湧いてくる時期。
そして、それに対して「これじゃ嫌だ」という衝動が強くなる時期。
それが「もう次のステージだよ!」というサインであり、それが訪れるのが40代くらいの時期なのではないか?と考えています。

そして、その内面からの問いに真剣に向き合うことは、相当憂鬱になるであろうことは想像に難くありません。
今までとりあえず押し入れの中に突っ込んで見ないフリをしてきた、見たくなかった自分を見なくちゃいけないことになる訳ですからね。
見たくないイヤなものたちを押し入れから引っ張り出すことになるでしょう。

自分の中のパンドラの箱を開ける作業です。
考えただけでとても恐い作業です。
でも実は、そこで出てきてしまったイヤなものたちを、ちゃんと直視して承認してあげたら、それらはキレイに蒸散し、後には希望みたいなもんが見えてくるような気がしています。

あるいは、その「問い」に本気で向き合うと、自分が立っていた「これまで」という地盤がグラグラと揺らぐことになるかもしれません。
場合によってはその地盤が崩壊してしまうでしょう。
でも地盤が崩壊して底が抜けてしまったら、もっと広くて今まで知らなかった全く別の大地があったことに気付くかもしれません。

人生の棚卸に本気で向き合うとしたら、そんなプロセスが大なり小なり訪れるでしょう。
それは多分とてもしんどいけれど、そうやって一度人生の前半を棚卸して、いっぺん全てを見直して、自分を再構築して、ギアチェンジを果たすことが出来たのなら、そこからが「天命・使命」のステージの始まりなのではないかと考えます。
それが40代に直面するミドルエイジ・クライシスの本当の意味かもしれません。
おそらく僕の周りの諸先輩方も、そのようなプロセスを通過したその後、影響力のある重要な仕事を果たしておられる方がたくさんいらっしゃるのではないでしょうか?


四十而不惑(四十にして惑わず)

中国の思想家、哲学者の 孔子 が残した論語の一節にこのような言葉があります。
節目の年齢になった方がよく引用する一節です。

子曰、
吾十有五而志于学、
三十而立、
四十而不惑、
五十而知天命、
六十而耳順、
七十而従心所欲、不踰矩。

子曰く、
吾れ十有五にして学に志ざす。
三十にして立つ。
四十にして惑わず。
五十にして天命を知る。
六十にして耳従う。
七十にして心の欲する所に従って、矩を踰えず。

孔子が云う、
「私は十五才で学問の道に入ろうと決めた。
三十才で学問に対する自分なりの基礎を確立した。
四十才で戸惑うことがなくなった。
五十才で天命を悟った。
六十で何を聞いても動じなくなった。
七十になってからは、心のおもむくままに行動しても、道理に違うことがなくなった」と。


「四十にして惑わず」
孔子が自分の弟子に対して自分の経験を語った言葉です。
孔子さんレベルになると40歳になったら本当に惑わなかったのかもしれませんが、今の僕には到底無理な話。
惑わないなんて無理です。
惑いまくってます。
でも、僕は僕なりにこんな解釈をしています。

それまでの僕は「自分だけ」や「漠然」という状態にあって、その中で一生懸命頑張ってきた。
それは、成長の段階で当然のことではあるが、まだ「自我(エゴ)」に惑わされている状態である。
自我(エゴ)とは、恐れと欠乏を動機として自分を守る心。
認めて欲しい、分かって欲しい、愛して欲しい、受け入れて欲しい、なんとかして欲しいと、他人と世界に依存する心。
傷付いた子供のままの心。
自我(エゴ)に惑わされているうちは天命を生きることはできない。
40代はその自我(エゴ)による「惑い」から脱出するときである。
四十にして惑わず。
もう自我(エゴ)には惑わされない。
だからこそ、五十にして天命を知るに至る。

自分に都合のいい勝手な僕の解釈ですが、40代でギアチェンジをした人が50代で天命を果たす、こう考えてみると「四十にして惑わず」という言葉の意味がしっくりと腑に落ちる気がしてなりません。

気がついたらいつの間にか40歳になってました。
いろいろと殊勝なことを書き綴りましたが、正直言うと30代だった昨日までの自分と、今日の自分、何か変わった実感は全くありません。
若い頃は40代とか完全におじさんのイメージがありましたが、実際なってみるとそう悪いものではないなと。
でもこの先の10年を考えると、心持ちはちょっと違うかな。
この先の10年は、僕の人生の勝負の10年にしようと思っています。
ここまで読んで頂いた皆様、ありがとうございました!
こんな僕ですが、皆様今後ともよろしくお願い申し上げます!