永遠の0

クリスマスムード一色のこの時期に、おおよそそれに似つかわしくない映画を鑑賞してきました。
「永遠の0」
2009年に文庫化された百田尚樹氏の小説を原作とした、太平洋戦争末期の特攻隊員の生き様を描いた映画です。
いろんな事を考えさせられた作品でした。





臆病者と呼ばれた天才

映画『永遠の0』


司法試験に落ちて進路に迷う佐伯健太郎は、祖母・松乃の葬儀の日に驚くべき事実を知らされる。
実は自分と祖父・賢一郎には血のつながりが無く、”血縁上の祖父”が別にいるというのだ。
本当の祖父の名は、宮部久蔵。
60年前の太平洋戦争で零戦パイロットとして戦い、終戦直前に特攻出撃により帰らぬ人となっていた。
宮部の事を調べるために、かつての戦友のもとを訪ね歩く健太郎。
しかし、そこで耳にした宮部の人物評は「海軍一の臆病者」などの酷い内容だった。
宮部は天才的な操縦技術を持ちながら、敵を撃破することよりも「生きて還る」ことに執着し、乱戦になると真っ先に離脱したという。
「家族のもとへ、必ず還ってくる」
それは宮部が妻・松乃に誓った、たったひとつの約束だった。
そんな男がなぜ特攻を選んだのか。
やがて宮部の最期を知る人物に辿りついた健太郎は、衝撃の真実を知ることに…。
宮部が命がけで遺したメッセージとは何か。
そして現代に生きる健太郎は、その思いを受け取ることができるのか。

映画 永遠の0ホームページ より引用


物語は「実の祖父が他にいた、しかも特攻隊員として玉砕した」という事実をニートの主人公が知るところから始まります。
アルバイトがてらに自分のルーツを調べるうちに突きつけられる祖父の姿。
天才的な操縦技術を持ちながら、戦時中の思想から見れば「非国民」「臆病者」と呼ばれても仕方ない「生きて還る」事に執着した祖父、宮部久蔵。
しかし、そこまで「生きて還る」事に執着した宮部は特攻で玉砕してしまう。
物語は宮部と親交のあった人物からの話を軸に親交していきます。
結末が近付く程感極まる作品です。
最後のドンデン返しに胸が熱くなるのですが、単なる感動とは質の違う、非常に考えさせられる事の多い作品だった様に思います。
あまり本筋を書いてしまうとネタバレになってしまいますので控えますが、この映画を鑑賞して特に感じたことをありのままに書いていきます。


平和ボケした日本と戦時中の日本

作中では戦争描写と現在の人物を織り交ぜる事により、平和ボケした日本の問題が浮き彫りにされます。
特攻隊は天皇信仰のテロリストであり、9・11のイスラムテロと同じだという描写がありました。
主人公はその主張にうまく反論出来ず苦虫を噛み締めるような想いをしています(原作では違う人物がこの考え方に反論している様ですが)。
果たして本当に特攻隊はテロリストなのでしょうか?
特攻要員は自ら志願して選ばれたといいます(戦争末期は志願という名の命令だったとも伝わっておりますが)。
という事は、特攻隊員は熱烈な愛国者だったという見方をしてしまいがちです。
「特攻隊員が一時的な洗脳を受けていた、それは時代のせいであり、軍部のせいである、戦後はその洗脳が解けたからこそ民主主義になりこれだけの復興を遂げられた。
特攻隊員は一種のテロリストだった。
それは彼らの残した遺書を読めばわかる。
彼らは国のために命を捨てることを嘆くより、むしろ誇りに思っている」
平和ボケした現代の日本に生きる我々は、いかにも利己的に、そして無責任にこんな事を言えます。
もちろんその人達なりの政治思想は多々ありますからその是非を問うつもりはありませんが、戦争を経験していない我々が現代のくだらないイデオロギーの視点から特攻隊を論じる事はとても陳腐な事のように思えてなりません。

特攻隊とテロリストは決定的に異なる点があります。
自爆テロは一般市民を殺戮の対象にしたものです。
無辜の民の命を狙ったものです。
特攻隊が狙ったのは無辜の民が生活するビルではありません。
爆撃機や戦闘機を積んだ航空母艦です。
アメリカ空母は日本の国土を空襲し一般市民を無差別に銃爆撃しました。
そんな彼らは無辜の民ではありません。
特攻隊が攻撃したのは最強の殺戮兵器です。
しかも特攻隊員達は性能の劣る航空機に重い爆弾をくくりつけ、少ない護衛戦闘機しかつけてもらえずに出撃しました。
何倍もの敵機に攻撃され、それをくぐり抜けても凄まじい対空砲火を浴びるのです。
無防備なビルに突っ込むようなテロリストとは全く異なります。

信念のために命を捨てるという一点においては同じと言えるかもしれません。
その信念を植え付けさせたのは軍部とジャーナリズムです。
日露戦争終結後のポーツマス講和会議での講和条件を巡って、多くの新聞社が怒りを表明しました。
「こんな条件が呑めるか」と。
国民の多くは新聞社に煽られ全国各地で反政府暴動が起きます。
日比谷公会堂焼き討ち事件などがその最たるものです。
以降国民の多くは戦争賛美へと進みました。
五・一五事件や二・二六事件は軍事クーデターなのにも関わらず、多くの新聞社は青年将校達を英雄と称え、暴走する軍部主導国家を止めることは誰にも出来なくなる有様。
軍部をこのように化け物にしたのはジャーナリズムであり、それに煽られた国民です。

戦前においてのジャーナリズムの失敗を踏まえ、戦後は狂った愛国心は是正された様にも見えます。
戦後多くの新聞は、国民に愛国心を捨てるように論陣を張りました。
まるで国を愛する事は罪であるかのように。
民主主義、資本主義、個人主義がただひとつの正義であるかのように。
一見戦前と逆の事を行っているように見えますが、自らを正義と信じ愚かな国民に教えてやろうという姿勢は全く変わらない様に思います。
その結果はどうでしょう?
今日、この国ほど自らの国を軽視し近隣諸国におもねる売国奴的な政治家や文化人を生み出した国はありません。
そしてそんな時代と国家に生まれた私達も、狂った愛国心で狂った信念が形成され、「死にたくない」という本心をおおっぴらに発言することも許されない特攻隊員の、死を決意し我が身亡き後の家族と国を想い、残る者の心を想いやって書いた遺書の行間を読み取れない様になっているのではないでしょうか?
「日本人ほど自国の歴史に関心と誇りを持っていない民族はいない」
他国は日本人の歴史観をこう評しています。
情けない話ですが確かにその通りといえるでしょう。


現在の日本と戦時中の日本の共通点

様々な意見があるでしょうし、異論や反論もあるでしょうが、私個人的には第二次世界大戦や太平洋戦争は間違いなく日本の侵略戦争であったと思っています。
侵略戦争をせざるを得ない背景があったのは仕方のない事ですが、間違った愛国心を植え付けられた国民はその侵略戦争を惨めに戦わされて、地獄を味わされました。

ある意味戦争に突入する日本と現在の日本は、状況がとてもよく似ていると感じるのは私だけでしょうか?
自国を巡る世界情勢は日々変化し、対応に右往左往しています。
現在の日本は東日本大震災からの復興という国内の問題に加え、中国、韓国、北朝鮮問題などを抱え、60年以上の平和ボケの国民はどうしていいのか分からなくなっています。
世界のどこの国でもそうですが、国民が自信を失ってくると極端に右傾化する傾向があるように思えてなりません。
戦争賛美は決していい事とは言えません。
しかし過去に右傾化してしまった結果、悲劇的な末路を辿った歴史を持つ国家国民として、美化することなく歴史を振り返りそこから現在の問題を打破するヒントを見出せたら、そう願います。

永遠の0、非常に考えさせられる映画でしたが後悔がひとつ。
原作を先に読んでおけばよかったなあと痛切に感じました。
iBooks Storeでマンガ版が販売されていましたので早速購入して一気に読んでみました。
次は原作を読んで映画では表現出来ていない細やかな息遣いを感じたいと思っています。