「太郎」の名の由来

長男太郎が産まれて早四ヶ月。
日々健やかに成長しており、親としても安心しています。
彼の存在により、また我が家は今までと違うカラーが出て来たなと思っている今日この頃です。
太郎!
オナラが臭いなお前!
わんぱくでもいい、たくましく育って欲しい(こんなCMありましたよね?)





「太郎???」という反応

それにしても「太郎」という名前、いい名前だと名付け親ながらに惚れ惚れしているのですが、世間様の反応は正直微妙…
大概の人が(私の父でさえも)
「本当に太郎って名付けたの?」
と仰られます。
とある人からは
「面倒だから太郎って名付けたの?」
などと言われる始末…
流石にこれにはキレそうになりましたが、そう思われるのも無理は無いのかなとも思います。
「太郎」という名は、日本人のゴールデンスタンダードな名前であり、そうであるが故にあまりにも普通過ぎて、その名前はかえってインパクトがある様です。
事実、出生届を提出する際や私達家族の居住する自治体の乳幼児医療証の手続の際、記載例にある「太郎」の文字をそのまま書いたのでは?と窓口の方にツッコまれました。
でも、あまりにも普通な名前ですが、彼に「太郎」と命名したのは私なりの熟考があっての事。
口頭で何度も説明するのは面倒ですし、将来彼がこの記事を読んで父の気持ちを汲んでくれたらとも思い、その2つの理由を書き起こしてみる事にします。


渡邊家のルーツ

私が産まれた「渡邊家」
その起源となった人物の名前は「渡邊三太」という人物だった様です。
その三太さんが決めた習わし事があった様で、彼以降代々の氏長者の名前には必ず「太」の文字か「郎」の文字を入れるとの事でした。
現在も本家の爺様の名前は「三郎」さん、そしてその息子であり現当主の名前は「一郎」さんと名付けられ、その習わしが脈々と続いていたのを知った時は、子供心に凄いと思ったものです。
だがしかし!!!
何という事でしょう!(テレビ朝日:大改造!!!ビフォーアフター風)
一郎さん、意図があったのか凡ミスなのか、自分の息子に「篤」さんと名付けました…
「太」の文字も「郎」の文字も見当たらないじゃありませんか?
まあこういう習わし、時代にマッチしていない節もありますから仕方が無い事なのかもしれません。
しかし、せっかく続いて来た習わしが淘汰されてしまうのは一抹の寂しさもあります。
それであれば、分家の分際ではありますが我が家の長男にそれを引き継がせようと思いました。
長男に太郎と名付けたと一郎さんに我が両親が教えた時、
「3104のヤツ、ウチの習わし知ってたのかー」
と笑っていたそうです。
男のロマンを感じています。


自分の名前がお気に入りの太郎


渡邊家は源氏???

亡くなった祖父が存命の頃、歴史に興味を持ち出した私にこんな事を言った事がありました。
「お前は源氏の末裔なんだぞー」
実際52代嵯峨天皇の子孫「嵯峨源氏」には「渡邊氏」も名前を連ねています。
歴史好きになった孫に祖父が調子に乗って話を盛ってしまったとも考えられますし、家系を書き換えるなんていうのは、大昔から色んな人が堂々とやってる行為(代表的な逸話は、征夷大将軍拝命の為に源氏に家系書き換えを行った徳川家康)ですので、自分が源氏だとは全く思っておりません。
おそらく代々小作農家だったのではないかと思っています。
でも、例えそうではなくとも歴史のロマンを感じずにはいられないのが歴史好き人間の性。
歴史上の源氏の人物で息子に名前をあやかりたい偉人。
私の頭の中にすぐに浮かんで来たのは「源義家」しかいませんでした(義家は嵯峨源氏ではなく清和源氏なのが悲しいところですがw)。

源義家(みなもと の よしいえ)は、平安時代後期の武将。
伊予守源頼義の長男。
八幡太郎(はちまんたろう)の通称でも知られる。
後に武家政権鎌倉幕府を開いた源頼朝、室町幕府の足利尊氏などの祖先に当たること等から後世に英雄視され、様々な逸話が生み出される。

Wikipediaより引用

義家は前九年の役や後三年の役といった東北地方であった戦いで活躍し、一時期出羽守として現在の山形を収めていた経緯もある武将です。
源氏中興の祖とも称され、彼の子孫には鎌倉幕府を開いた源頼朝や、足利幕府を開いた足利尊氏がいます。
また前述しましたが、徳川家康は、征夷大将軍職を得るために(義家の末裔である)新田氏の分家である得川氏の後裔を自称しました。
この源義家、七歳の春に京都郊外の石清水八幡宮で元服したことから八幡太郎と称します。
八幡太郎義家より名をあやかり「太郎」
前述した渡邊家の習わしを取っても「太郎」
完璧!!!
男のロマンを感じています。


八幡太郎義家バリに強くなれ、太郎!


子供に名前を付けるという事

以上が私が息子に「太郎」と名付けた理由です。
あともう一つだけ理由があるとすれば、現在のキラキラネームに対するアンチテーゼでしょうか?
ペットに名前を付けるかのごとく、強烈な名前を付ける親御さん。
その子の将来を考えた事あるんでしょうか?
実際にキラキラネーム第一世代が、就職活動で自分の名前で非常に苦労しているといった話を聞いた事があります。
私が面接官でも、同じ能力を持った二人の人間がいたとして、一人は普通の名前、一人はキラキラネームの持ち主だったら前者を採用するでしょう。
その子にはなんの問題も無くとも世間はそう取るのです。
名前から親が透けて見えるのです。
そういう親に育てられた子供、そういう見方をするのです。
子供に命名する行為は、親が子供に対して最初に「与える」行為です。
ありきたりな名前でも、そこにしっかりとした理由があれば、キラキラネームよりも素敵ではありませんか?
結局何が言いたいかと言いますと、私の両親が太郎に買ってくれた五月人形が激シブ!って事です。
端午の節句が楽しみです!
なー、太郎!!!


会津塗の逸品がシブいぜ、男のロマンだぜ