好きな事を真剣にやるという事
皆さんは好きな事ってありますか?
好きな事を楽しんでいますか?
好きな事を移り気なくとことんやってますか?
その前に自分が本当に好きな事って自分で分かってますか?
自分の好きな事とは何か、その好きな事を心底楽しんでいるか、好きな事を真剣にやっているのかと、色々と考える節がありこのエントリーをしたためようと思う。
自分の心情を曝け出すのはお恥ずかしいが、自戒の意味も込めて。
私は昔から、好きな事や興味のある事にはとことんのめり込んだ。
一度ハマってしまうとその事だけを一生懸命やってきた。
スノーボードはスポンサー契約を結ぶまでに至った。
インテリアは一生使用出来るデザイナーズファニチャーを買い求める様になった。
仕事は国家資格や国際資格を取得するに至り、現在に至る。
そして音楽は今もバンド活動を続けている。
とことんやってきたからこそ自分の経験にも、財産にも、資産にもなっていると自負している。
飽きっぽい様で、実は本当に好きな事は飽きもせずに今も続いている事が多い。
半年に一度の小中学校時代の同窓会では、毎回同窓生に驚かれる事がある。
未だに好きな事をコレだけ真剣にやっているのが羨ましいとも言う。
仕事ですら本気で楽しんでいる私に「お前は幸せなヤツだ。」とため息混じりに言ってくるヤツもいる。
自分でもそう思うし、その環境を作ってくれている家族にも頭が上がらない。
最近(といっても最近でもないのだが)、SNSやらライブメディアやらインターネットでのコミュニケーションツール(こういう書き方には語弊があるが)にどっぷりと浸かってしまっていた私。
こういった類いのモノはものすごく楽しいし、自分の知らない第三世界に足を踏み入れたような気持ちになる。
人よりも早く新しいサービスに乗っかり、次々に新しい可能性を感じる日々。
すごく楽しいから初めは全く気付かなかったのだが(気付かないフリをしていただけなのかもしれない)、ここのところ「あれっ?」と思う事が沢山増えてきた。
例えばTwitter。
単なる呟きから始まったこのサービス、今では大変な盛り上がりをみせている(らしい。実感なし。)
例えばUstream。
ライブメディアの大手であり、我々も番組を不定期で配信している。
どちらもすっごく楽しい。
しかし、楽しいが故に、自分の生活や人格ですらそちらのセカイに引っ張られ、持って行かれてしまう様な感覚に陥る事がある。
それがものすごく危うい事の様に思うのだ。
私だけではなく、TwitterやUstreamを使用している人は沢山いる。
でもね、みんなそちら側で生きているんじゃない。
TwitterやUstreamでは人気者、でも実際の生活はしょぼかったら、虚しくならないんだろうか?
コミュニケーションとして使うという人もいる。
友達100人できるかなという歌があったけど、私はインターネット上の薄っぺらいオトモダチだったら100人もいらない。
というかインターネット上だけの付き合いでトモダチと言える神経が全く持って分からない。
本当の友達って死ぬまでに5人できたら上等だと思う。
心底楽しんでいる人には大変申し訳ないような事を書いているのかもしれないね。
まあ批判だけ書いてしまったけど、TwitterもUsteramも楽しい事には変わりはない。
これによって、自分が好きなハズの音楽がおざなりになってしまうくらいに。
でも楽しさの質で言ったら、TwitterやUstreamのそれは、ジェットコースターに乗って「わー、楽しい」「きゃー、楽しい」といった程度なのかも。
ライブやって腹の底から湧き出る楽しさと比べたら、薄っぺらい楽しさなのだ。
こんな風に感じるのは、私自身こういったサービスの使い方が下手なのかもしれない。
もしくは、自分で言うのもなんだが、私は他の人よりもセンシティビティが鋭いのかもしれない。
昨日Twitterを眺めていたら、とある人が「ガレージバンド(Macにバンドルされている音楽制作ソフト)誰か教えて」という呟きを目にした。
私はその人のためにリアルタイムでそのソフトの使い方をiPhoneのカメラで動画を垂れ流した。
1時間半程だったが、簡単に曲を作る様子を垂れ流してみて、「ああ、曲作るって本当に楽しいなあ。」「オレは音楽やってるのがホントに好きなんだなあ。」と改めて実感させて頂いた。
大げさに言えば、「自分はここで生きている」という事を実感できた。
自分の持っているクリエイティビティな面を発揮出来るというか、何かを創り出す興奮、それを人前でパフォーマンスをしながら提供する興奮って、私には何事にも代え難い事なんだなと感じた(そう思わせてくれたきっかけがTwitterだったというのが皮肉なところなのだが)。
30代にして自分の好きな事なんていうと、青臭い書生道に思われるかもしれないが、好きな事や楽しい事が出来ない人生など、どれだけつまらない事かと思う。
そんな自分にとって非常に大事な事を、たかがインターネット内のたがか1サービスでおざなりにしてしまっていた事が心底悔やまれた。
私は今、この瞬間、こちら側の世界で生きている。
流行っている事に手を出すのも、時流に乗ろうとするのも、もう程々にしようと思う(辞めにすると言わないのが根性無し)。
決してあちらのセカイで生きている訳じゃない。
もちろんこれからもTwitterやUstreamを辞めたりはしないが、自分のアイデンティティがインターネット上だけにしかないなんて寂し過ぎるじゃないか。
自分が死んだ時に、自分が生きたログがインターネット上にしかないなんて、何のために生まれてきたのか、なんのために今生きているのか分からないじゃないか。
「本当に自分が好きな音楽制作を真剣にとことんやろう。」
こんな当たり前の事に気付くために、随分遠回りしてしまった感は否めない。
でも私には一緒に音楽をやってくれる最強のメンバーがいるし、そういう好きな事を許容してくれる家族がいる。
地に足をつけて、好きな事を真剣にやろう。
そう思えただけでもTwitterをやっていて良かったのかもしれない。
最後に。
TwitterやUstreamが心底好きで、真剣に取り組まれている方がいらっしゃったら、このエントリーを読んで気分を害するかもしれません。
あくまでも私個人の主観であり悪意があるわけではありませんが、丁重にお詫び申し上げます。