Twitterという宇宙
久しぶりのBlogエントリー。
ここ最近、”Twitter“や”Ustream“が富に面白く、完全にBlogのプライオリティが低くなってしまっていた。
毎週金曜日に”different TV“を配信しており、Twitterとの親和性が大変素晴らしく、ますますTwitterスパイラルにハマってしまっている。
このままでは2次元で生きる男になってしまうのではないか?と本気で自分が心配な今日この頃である。
さて、以前にも書いたが、私は2007/04/27からTwitterを利用している。
非常に楽しく有用に活用しているが、ここ最近「ちょっとTwitterやめてみようか」と思ってしまった自分もいる(結局やめていないのだが)。
ちょっとしたつぶやきから、情報交換、意見交換などを始めた当初はオンタイムでアップしていくライブ感が凄く刺激があったのだが、最近ではあまりの情報量の多さと、早過ぎるスピード感に眩暈すら感じてしまっているのも事実。
只単に自分自身がハマり過ぎたのが大きな原因なんですが。
このシーズンの仕事的に、常に出先機関での立会い最中MacBook Proでの作業も平行している。
また、iPhoneでもTwitterクライアントが沢山リリースされており、Twitterへの書き込みからオンタイムのフォロワー達との会話などが容易にできてしまう環境がさらにのめり込みを煽った。
そうなるとTwitterとの交信に費やす時間が日に日に増えてしまい、ほぼ中毒状態。
しかもここ最近、マスコミがTwitterを紹介し始め、タイムライン(以下TL)のカオスティックな状況に拍車が掛かった。
TLの波はボーッと眺めているだけで、大変に楽しい。
楽しいのだが、楽しすぎるのだ。
このままTLの波に飲み込まれてしまって、中毒状態から抜け出せなかったらと考えると「これはやめてしまおうか」と思ってしまった。
そんな折、友人のご家族に不幸があったため、喪中と自戒の意味を込めて数日間Twitterへのアクセスをやめてみた。
やめたらやめたで、生活に劇的な変化がある訳でも無い。
むしろTwitterに(悪い意味で)捕われていた時間を、より生産性の高い時間に変える事ができる。
情報の取得もRSSリーダーで何の問題も無い。
このままアカウント自体を停止しても良かったのだが、「Twitterの何がそんなに面白いのか?」と自問自答してみると、出てきた答えは「ユーザーによっていろんな使い方ができる」事と、「情報のリアルタイム性」。
この2つの点だけは、現在のWebサービスの中でも例がない、唯一無二のモノであり、なんとなくまた再びTwitterを再開して、大変楽しく利用して今日に至る。
とはいっても経験しているから言えるがTwitterは素晴らしいコミュニケーションの場だというのは変らぬ意見であり、事実なのである(Twitterがコミュニケーションツールかと言われれば個人的にはそうではないと思っているが)。
ある人は「アーティストやミュージシャンは呟かない方が良い」ということ言っていたらしいが、そんな事は無いと思う。
そんなアーティスト像、渋過ぎません?。
私からしたら「呟くアーティスト」格好良いと思うし、何より興味をひかれる。
普段垣間見れないですからね。
「アーティストは作品だけで語れ」なんて、はっきり言って古いですよ。
勘違いして頂きたくないのは、私は「みんなでTwitter使おう」と声高に啓蒙している訳では毛頭ない。
むしろ「一億総Twitter」などと啓蒙している輩やマスメディアには閉口するし、嫌悪感さえある。
やりたきゃやりゃーいいし、興味ない人に無理矢理やらせるものでもない。
現在、あのデスクトップ上の宇宙に住人として暮らしている人々にはとことんその世界を楽しんでもらいたいし、私もとことん楽しみたいと思っている。
でもその宇宙との距離感をコントロールできなかったなら、すぐに撤退した方が良いのかもしれない。
事実、周りを見てもTwitter無しでは無理的な人も見受けられるし。
私は幸い、仕事中は携帯の電源は切るし、一日中見っぱなし、話しっぱなしというのは無いのだが。
まぁ何にせよ使い方次第ですよ。
私には逆に言うと”合い過ぎている”のかもしれないな。
私自身のBlogも以前のBlogを含めると、かれこれ始めてから5年以上になるが、私にはこの時間軸も心地よい。
集中して考えをまとめ記す。
元々文を推敲する作業は嫌いではないし。
なので私は引き続きここで記していきつつ、Twitterにも呟いていこうと思う。
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