70回目の終戦記念日に思う
蝉の声が鳴り響く中、今年もこの季節が過ぎようとしている。
今日は私達日本人にとってとても大事な日であるという事を、果たしてどれくらいの人が理解しているであろうか?
70年前の今日、日本人は終戦・無条件降伏という建国史上最悪の屈辱を強いられる事となった。
70年後の今日、日本はとても無様な有様を呈している様に思う。
数年前の終戦記念日にも思うところを書いてみたのだが、今年はその時の文章に若干の加筆を加える意味で筆を取ってみる事にする。
70年前の日本と現在の日本
あの日も、今日のように夏の陽射しがジリジリと照らし、蝉の声が鳴り響いていたのだろうか。
終戦から70年の歳月が経った。
戦後の復興を経て平和と言う名のもとに、私達は何不自由なく生きてきた。
そして、その結果が、年間3万人以上の自殺者を出し、年間に1千万トン以上の食べ物をゴミ箱に捨て、あれだけの事故を起こしながら経済合理主義を傘に永遠に残る核の廃棄物を生み続け、若者たちからは夢を奪い、自分だけが幸せに生きれれば良いと言う薄汚い価値観がはびこり、想像力を失い、多くの命を懸けて守ろうとした国の領土すら守れず、国の威厳すら失われている。
国を守ろうと、家族を守ろうと、多くの若者たちの命が散って行き、遠い異国の地で故郷に思いを馳せながら無数の命が尽きて行った。
空襲によって無差別に焼き殺された幼子や女や老人たちがいた。
原爆により一瞬にして街ごと焼き尽くされた。
わずか70年前だ。
遥か昔の話ではない。
現在も戦争の語り部と呼ばれる方々は存命している。
私達はこの同胞の尊い命の代償を無にせずに生きてきたのだろうか。
戦争経験の無い私達は、この70年と言う歳月を遠い昔の過去にしてしまったのだろうか。
数年前に起きた東日本大震災ですら忘れてしまっているのではないだろうか。
今考えること
もう一度私達が考えなければいけないことは、私達が生きているこの今と言う現実は、失われた多くの尊い人命の上に成り立っているということだ。
隣国では領土問題で実効支配をしようと躍起になっている。
靖国神社に参拝をすることすら咎められ、愛国心を口にすれば軍国主義だと批判される。
この日本は私達が生まれ、そして私達の子供たちが生きていく大切な国だ。
もう一度、自分たちが生きていくこの日本について一人ひとりが考えなければいけない。
戦争は良くない。
そんなことは誰だって分かっている。
しかし人間が人間たる以上争い事は必ず発生する。
戦争は必ず発生する。
例え日本が憲法9条を盾に戦争を放棄しても、世界が日本を放っておいてくれない。
日本を守るためにはどうするか?
考えなければいけない。
憲法9条があれば日本は戦争に巻き込まれない?
完全なる思考停止である。
毅然とした強さを持たなければいけない。
相手のことを思う想像力を持たなければいけない。
意見も聞き、自分の考え方を伝える聡明さを持たなければいけない。
国は私達一人ひとりが創り上げると言う責任感を持たなければいけない。
そのためには、私達は努力を惜しんではいけない。
決して諦めてはいけない。
もう、右も左も関係無い。
必要なのは浄化された人たちのレベルアップされた力だ。
イデオロギーや政治体制で人間社会が改善されたことが無いことは、歴史が証明をしている。
玉音放送
日本人であれば当然玉音放送は知っているであろう。
昭和20年(1945年)8月15日正午、昭和天皇が自ら詔書(大東亜戦争終結ノ詔書)を朗読したもの(レコードによる録音)を放送することで、日本がポツダム宣言を受け入れたことを国民に対して明らかにしたラジオ放送で、日本が無条件降伏した、ようやく太平洋戦争が終わったことを国民は初めて知らされた。
『耐え難きを耐え、忍び難きを忍び〜』のフレーズだけが一人歩きしてしまっているが、全文を聞いたことがあるだろうか?
全文を聞き、現代語訳に目を通すと、昭和天皇が詔勅に込められた日本国民への期待と激励と痛恨の想いを感じることができる。
『大東亜戦争終結ノ詔書』原文(昭和20年8月14日)
朕深ク世界ノ大勢ト帝国ノ現状トニ鑑ミ非常ノ措置ヲ以テ時局ヲ収拾セムト欲シ茲ニ忠良ナル爾臣民ニ告ク 朕ハ帝国政府ヲシテ米英支蘇四国ニ対シ其ノ共同宣言ヲ受諾スル旨通告セシメタリ抑々帝国臣民ノ康寧ヲ図リ万邦共栄ノ楽ヲ偕ニスルハ皇祖皇宗ノ遣範ニシテ朕ノ拳々措カサル所 曩ニ米英二国ニ宣戦セル所以モ亦実ニ帝国ノ自存ト東亜ノ安定トヲ庶幾スルニ出テ他国ノ主権ヲ排シ領土ヲ侵スカ如キハ固ヨリ朕カ志ニアラス
然ルニ交戦已ニ四歳ヲ閲シ朕カ陸海将兵ノ勇戦朕カ百僚有司ノ励精朕カ一億衆庶ノ奉公各々最善ヲ尽セルニ拘ラス戦局必スシモ好転セス世界ノ大勢亦我ニ利アラス 加之敵ハ新ニ残虐ナル爆弾ヲ使用シテ無辜ヲ殺傷シ惨害ノ及フ所真ニ測ルヘカラサルニ至ル
而モ尚交戦ヲ継続セムカ終ニ我カ民族ノ滅亡ヲ招来スルノミナラス延テ人類ノ文明ヲモ破却スヘシ斯ノ如クムハ朕何ヲ以テカ億兆ノ赤子ヲ保シ皇祖皇宗ノ神霊ニ謝セムヤ是レ朕カ帝国政府ヲシテ共同宣言ニ応セシムルニ至レル所以ナリ
朕ハ帝国ト共ニ終始東亜ノ解放ニ協力セル諸盟邦ニ対シ遺憾ノ意ヲ表セサルヲ得ス帝国臣民ニシテ戦陣ニ死シ職域ニ殉シ非命ニ斃レタル者及其ノ遺族ニ想ヲ致セハ五内為ニ裂ク且戦傷ヲ負ヒ災禍ヲ蒙リ家業ヲ失ヒタル者ノ厚生ニ至リテハ朕ノ深ク軫念スル所ナリ
惟フニ今後帝国ノ受クヘキ困難ハ固ヨリ尋常ニアラス爾臣民ノ衷情モ朕善ク之ヲ知ル 然レトモ朕ハ時運ノ趨ク所耐ヘ難キヲ耐ヘ忍ヒ難キヲ忍ヒ以テ万世ノ為ニ太平ヲ開カムト欲ス
朕ハ茲ニ国体ヲ護持シ得テ忠良ナル爾臣民ノ赤誠ニ信倚シ常ニ爾臣民ト共ニ在リ若シ夫レ情ノ激スル所濫ニ事端ヲ滋クシ或ハ同胞排擠互ニ時局ヲ乱リ為ニ大道ヲ誤リ信義ヲ世界ニ失フカ如キハ朕最モ之ヲ戒ム
宜シク挙国一家子孫相伝ヘ確ク神州ノ不滅ヲ信シ任重クシテ道遠キヲ念ヒ総力ヲ将来ノ建設ニ傾ケ道義ヲ篤クシ志操ヲ鞏クシ誓テ国体ノ精華ヲ発揚シ世界ノ進運ニ後レサラムコトヲ期スヘシ爾臣民其レ克く朕カ意ヲ体セヨ
—
*現代語訳
余は、深く世界の大勢と、帝国の現状をかえりみて、非常措置をもって事態を収拾しようと欲し、ここに忠実にして善良なる汝ら臣民に告げる。
余は帝国政府に、米英中ソの四国に対し、そのポツダム宣言を受諾する旨、通告させた。そもそも、帝国臣民の安寧をはかり、万国が共存共栄して楽しみをともにすることは、天照大御神からはじまる歴代天皇・皇室が遺訓として代々伝えてきたもので、余はそれをつねづね心がけてきた。
先に米英の二国に宣戦した理由も、実に帝国の独立自存と東アジア全域の安定とを希求したものであって、海外に出て他国の主権を奪い、領土を侵略するがごときは、もとより余の志すところではない。しかるに、交戦状態はすでに四年を過ぎ、余の陸海軍の将兵の勇敢なる戦い、余のすべての官僚役人の精勤と励行、余の一億国民大衆の自己を犠牲にした活動、それぞれが最善をつくしたのにもかかわらず、戦局はかならずしも好転せず、世界の大勢もまたわが国にとって有利とはいえない。
そればかりか、敵国は新たに残虐なる原子爆弾を使用し、いくども罪なき民を殺傷し、その惨害の及ぶ範囲は、まことにはかりしれない。この上、なお交戦を続けるであろうか。
ついには、わが日本民族の滅亡をも招きかねず、さらには人類文明そのものを破滅させるにちがいない。
そのようになったならば、余は何をもって億兆の国民と子孫を保てばよいか、皇祖神・歴代天皇・皇室の神霊にあやまればよいか。
以上が、余が帝国政府に命じ、ポツダム宣言を受諾させるに至った理由である。余は、帝国とともに終始一貫して東アジアの解放に協力してくれた、諸々の同盟国に対し、遺憾の意を表明せざるをえない。
帝国の臣民の中で、戦陣で戦死した者、職場で殉職した者、悲惨な死に倒れた者、およびその遺族に思いを致すとき、余の五臓六腑は、それがために引き裂かれんばかりである。
かつ、戦傷を負い、戦争の災禍をこうむり、家も土地も職場も失った者たちの健康と生活の保証にいたっては、余の心より深く憂うるところである。思うに、今後、帝国の受けるべき苦難は、もとより尋常なものではない。汝ら臣民の真情も、余はそれをよく知っている。
しかし、ここは時勢のおもむくところに従い、耐えがたきを耐え、忍びがたきを忍び、それをもって万国の未来、子々孫々のために、太平の世への一歩を踏み出したいと思う。余はここに、国家国体を護り維持しえて、忠実にして善良なる汝ら臣民の真実とまごころを信頼し、常に汝ら臣民とともにある。
もし、事態にさからって激情のおもむくまま事件を頻発させ、あるいは同胞同志で排斥しあい、互いに情勢を悪化させ、そのために天下の大道を踏みあやまり、世界の信義を失うがごとき事態は、余のもっとも戒めるところである。そのことを、国をあげて、各家庭でも子孫に語り伝え、神国日本の不滅を信じ、任務は重く道は遠いということを思い、持てる力のすべてを未来への建設に傾け、道義を重んじて、志操を堅固に保ち、誓って国体の精髄と美質を発揮し、世界の進む道におくれを取らぬよう心がけよ。
汝ら臣民、以上のことを余が意志として体せよ。
この詔勅に込められた昭和天皇の想いを、一体どれだけの国民が、戦後憶えていただろうか。
原文の末に、『宜しく挙国一家、子孫、相伝え、よく神州の不滅を信じ、任重くして道遠きを想い、総力を将来の建設に傾け、道義を篤(あつ)くし、志操を固くし、誓って国体の精華を発揚し、世界の進運に遅れざらん事を期すべし。汝臣民、それよく朕が意を体せよ』とあるが、この言葉は戦後に渡り、国民からほとんど無視されて来た事が分かる。
確かに『総力を将来の建設に傾け』、『世界の進運に遅れざらん事を期す』という所だけは、必死になってやってきた。
ところが、誰も『神州の不滅』など忘れ、『道義』も軽んじられ続けた。
『志操』もゴミ箱行きで、『国体の精華』なんて、国民体育大会の聖火としか思われないほど、精神性を捨て去ってきた。
『挙国、一家』などという言葉すら、戦前の軍国主義への偏見やヤクザの一家という、ものすごく歪曲されたイメージでしか見られないという始末だ。
物質的な建設と、世界のトレンドに遅れるまいとする姿だけ肥大し、精神に関わることを、放り出してしまった。
『神州日本の不滅』『道義』『志操』『国体』という意識を取り戻さないと、この先誰も生き延びられるまい。
なにしろ、相手方の欧米やユダヤは、民族・国家意識には凄まじいものを持っている。
彼らの民族意識や国家意識に対抗し、つぶされないで伍して行く為に必要なのは、今挙げたような日本独自の民族意識・国家意識の復活だと思う。
それのない日本人は、欧米流のやり方に押しつぶされるのではないだろうか?
真っ当な民族意識と国家意識を、復活させる事は可能な筈だ。
それが『国体の精華を発揚』するという事なのだ。
なぜなら、民族意識こそ、国家にとって民族にとって、最大最強の武器だからだ。
それ故に、70年前マッカーサーは先ず最初に日本の「民族意識」を、新憲法によって無力化した。
彼等が最も恐れたのは、この国の軍事力ではなく、それを支え続けた日本人の民族意識・精神力だった事が、これからも分かる。
日本人の精神力を骨無しにし、アメリカに魂を売らせる事が、最大の武装解除を意味した。
だからこそ、売ってしまった日本魂を取り戻さなければならない。
それこそが、昭和天皇の悲願だったのではないだろうか?
日本のいちばん長い日
戦後70年の節目に一つの映画がリメイクされた。
『日本のいちばん長い日』
昭和天皇や閣僚たちが御前会議において降伏を決定した1945年(昭和20年)8月14日の正午から宮城事件、そして国民に対してラジオの玉音放送を通じてポツダム宣言の受諾を知らせる8月15日正午までの日本史上最大の決断をした24時間を描いている。
本日劇場に足を運び視聴した。
著者の言葉を借りれば、戦争とはいとも簡単に始められるが、戦争を終わらせるのは至極難しい。
改めて戦争とは何なのかを考えるいい機会になった思う。
時代背景や登場人物の予備知識がないと視聴は辛いと思いますが、非常に面白かった。
最後に
せめて、夏のこの日だけは、戦没者の慰霊と再び戦争を起こさないために黙祷を捧げながら、自分たちが生きるこの日本を考え、未来における自分たちの役割を想像しようと思う。