3.11から3年

東日本大震災から3年を迎えました。
新聞の見出しは確かに記事として扱ってはいるものの年々扱いが小さくなってきたような気がします。
このまま風化してしまうにはあまりにも時間が経過していないと思うのは私だけでしょうか?
3年という節目に、主に大規模自然災害時の情報搾取という観点から書き出してみたいと思います。






3年経って

3年前、日本がどんな絶望の底にあったか覚えているでしょうか?
地震の前、日本ではまもなくGDPで中国に抜かれることが大きな話題でした。
テレビのニュースは、日本の人口もGDPももはや上昇することはないと繰り返していました。
そんな時、 3月11日に地震が起き我々は絶望の淵へと落とされました。
いや、実際にはこれはすべての始まりにしか過ぎなかった。
この後、かなり長い間頻繁な余震が続いたのを多くの人が覚えているはずです。
こんな中、日本が再び世界経済の舞台に返り咲くことなんか想像ができない、と思っていた人は私だけではないでしょう。

あれから3年経っても被害の大きかった東北地方の沿岸部は、まだまだ再興の途上にあります。
福島の一部地域が元に戻るまでは、我々の寿命をはるかに超えた長い時間が必要かもしれません。
一方で、東北地方以外の日本は、ほぼかつての姿を取り戻しました。

地震国、日本においては人生の間に何度か巨大地震に遭遇する運命にあります。
それは東北に住んでいても新潟にいても兵庫県にいても起きます。
この50年程度の比較的大きな地震の発生地を見ると北海道から鹿児島まで起きているのです。
つまり日本はある程度の大きさの震災には耐震という物理的対応、人々の普段からの防災への心がけ、さらには市町村から会社までいざという時の対応を考え、それを訓練や実践の中でより確かなものにしていくということを繰り返してきました。
残念ながら東日本大震災はいくつかの面でその想定を大きく超えたことが被害を大きくした、ということです。

これは地震がほとんどない外国では地震そのものに対する恐怖が先立って対応そのものができません。
そして震災後の略奪なども当然、想定できてしまうのです。
それを考えれば日本の防災に対する心構えは世界の中でも超一流であると思っています。
3年前の教訓で携帯がつながらなくても安否確認できるプランを再構築している方も増えてきているのではないでしょうか?

先に述べた通り、地震国日本に住んで大きな地震を経験している日本人は、世界に対して地震からの学びで将来に向けて役に立ちそうなものを世界に向けて共有するべきだと思っています。


記録に残された自然災害

振り返ってみると3年前の東日本大震災は、歴史上、世界のどこでも類を見ない、もっともデジタル記録が残された自然災害だったと思います。
震災の前から日本は携帯電話の普及率が極めて高く、その多くが既にスマートフォンに変わろうとしていました。
また、高画質なデジタルカメラの普及率も極めて高いです。
こうした道具を使って震災や津波の被害そのものの記録が驚くほどたくさん撮られました。
YouTubeや Flickr、Picasaなどを探すと驚くほどたくさんの動画や静止画が今でも見つかります(中には被災者に配慮して掲載や公開をやめているものがありますが、それでもたくさんあります)。

そんな日本で、震災発生後最も使われるITサービスとなったのがTwitterでした。
(震災から半年〜1年も経つと、あまりに大勢が使い始め、その上で行なわれるコミュニケーションの質が変わってしまったため、Twitterをやめ、Facebookに切り替えてしまった人も増えました)。


自然災害時のSNS

3.11の東日本大震災の発生前から、Twitterは既に地震のためのコミュニケーションツールとして定着している感がありました。

Twitterを使っている人は、揺れを感じるとすぐに携帯電話やスマートフォン、パソコンでTwitterを覗いて、今、感じたのは本当に「揺れ」だったのか、それとも単にめまいがしただけだったのかを確認したり、他の人達がどんな揺れを感じたかを眺めて時間を共有したのです。
地震に関する情報を自動的につぶやくbot(Twitterアカウントを通して情報発信するプログラム)もたくさんあります。

Facebookやmixiは、閉じられたグループ内でのコミュニケーションに最適化されているため、情報をリアルタイムで素早く拡散するのにはあまり向いていません。
Facebookに関しては拡散力はあるものの、140文字といった枠がなく、書こうと思えばどこまでも長く書けてしまうので、文章を書き終わって「投稿」をする頃には、皆、地震の話題も一段落して次の話題に移ってしまっている(よって拡散しない)という問題があります。

事実先月の記録的な大雪の際もFacebookは全くと言っていいほど役に立ちませんでした。
Facebookは瞬間的な情報を発信するツールというよりは自分が何をしているかを発信するツール(リア充偽造ツールと私は呼んでいます)ですから仕方が無いのかもしれません。
「今渋滞にハマってて大変だー」等の個人的な「いいね!」狙いの情報はどうでもいいのです。
自然災害時に求めるのは即時性なのです。

一時的な事象ではなく、時間を超えて人に感動を与えるストーリーなどであれば、Facebookにもかなりの拡散性はありますが、伝播のスピードがTwitterと比べてずっとゆっくりなので、コミュニケーションの中身もまったく変わってしまうのです。

Twitterでは、書き込める文字数も少なければ、それを使って出来ることも位置情報と静止画写真の追加くらいと限られているだけに、初心者がとりあえず始めるのも簡単、という長所もあります。
東日本大震災では、多くの人が「Twitterが役立った」という話をし、それを聞いたインターネットとの付き合いは「携帯メール」と「ホームページ」くらいしかなかった初心者の人達が大勢、Twitterを使い始めました。
事実電話は繋がらなくてもTwitterのタイムラインは滝のように、轟々と情報が流れていってたのを思い出します。
Twitterの価値は、その制限のおかげで意味のない誤字脱字だらけの情報発信、それも、あとで振り返ろうなんて思っていない「使い捨てコミュニケーション」を気軽にできる事だと思います。
ただし、Twitterは、その「使い捨てコミュニケーション」をマスに対して行なうため、最近炎上の元になっている訳で、そう言う意味では日常時の使い捨てコミュニケーションとしてはここ最近はLINEが力を増しているのではないでしょうか(大規模自然災害時にLINEのサーバーがどれほど持ちこたえられるかが肝となるでしょう)。


正しい情報を振り分ける力も必要

しかし、東日本大震災時のTwitter、いいことばかりではありませんでした。
本人にそのつもりはなく、良かれと思って呟いた一言が、実は真偽を確認していない情報で拡散されてしまったり、考えたくはありませんが悪意をもって嘘の情報を呟いたりとデマもたくさん出回りました。
また、状況が状況だけに、ユーザーのメンタル面もピリピリしていたのか、自分の意に削ぐわない呟きに徹底的に噛み付いたりする輩も多かった。
実際私も放射能に過剰過ぎるほど反応している人達に向けて、「あまりにも過剰すぎるんじゃないか?」という独り言のような呟きをしたところ、某有名コラムニストに拡散されたのをきっかけに、それまで経験したことも無い情報拡散されました。
それだけでも怖かったのですが、俗に言う「放射脳」の方々に徹底的にdisられまくり、元の呟きを削除してしまおうか?とまで考えた程です。

放射脳の方々はスルーでいいのですが、自然災害時の混沌とした状況では、その情報の真偽をしっかり確かめる、情報を振るい分ける力も求められると個人的には思います。
流れてきた情報を咀嚼して正しい情報だけを自分の中にインプットするというのは、生き残るためにも大事なことと思っています。


まとめと追悼

このエントリーでは別にTwitterアゲ、Facebookサゲをしようというのではありません。
無理にTwitterを使えと言っている訳でもありません。
3年前に発生し、未だ暗い影を落としている東日本大震災での教訓として、今我々が手にしているデバイスを最大限に使い、即時に正しい情報を手に入れる方法を検討してみる時期なのではないでしょうか?
せめて身の回りの大事な人の安否確認ができるメソッドを検討してみる時期なのではないでしょうか?

最後に東日本大震災で犠牲になった方々へ心からの追悼と、今だ苦しんでおられる被災者の方々への心からの御見舞いを申し上げ、このエントリーを結びます。