断水なう
前回のエントリーから数日。
集中豪雨の増水もあのまま収束に向かうかと思われましたが、まるで予想だにしなかった、斜め上からの二次災害に見舞われております。
頭上からは水が降っているのに、水が無い。
禅問答の様なこの状態にここ数日振り回されっぱなし。
なかなかこういう事態は経験出来ないため、記録に残してみる事とします。
断水なう
まずは事の成り行きを。
前回のエントリーをご覧下さい。
雨潸々 | entrance / exit “雨 潸々と この身に落ちて” “わずかばかりの 運の悪さを 恨んだりして” 国民的歌謡曲「愛燦燦」の冒頭の歌詞です。 「潸々」を辞書で引くと「雨が静かに降りしきるさま」とあります。 2013年7月18日、梅雨明け直前の山形県は記録的な豪雨に見舞われました。 全然「潸々」じゃないッス、ひばりさん!
ご覧いただければお分かりの通り、川、濁ってます。
すっげー濁ってます。
私の性根よりも濁ってます。
山形県では西川町にある寒河江ダムや周辺の河川の水が濁った状態になり、河川から水を取っている浄水施設の処理が追いつかず、広い範囲で断水が続いています。
天童市、上山市、村山市、寒河江市、河北町の5つの市と町のおよそ3万9500世帯で断水しています(2013年7月24日午前現在)。
西川町にある浄水施設で作業を急いだ結果、すべての世帯で断水していた天童市では、24日午後になって一部で水が出るようになりましたが、まだ広い範囲で断水が続き市内の給水所には多くの人が訪れています。
水の無い生活の辛さ
断水ですよ、断水。
水道捻って水が出てこない絶望感たるや、なんと表現したら良いのか言葉がうまく浮かんできません。
東日本大震災時、一晩だけ電気の使えない状況を体験しましたが、水が無いのもつらいですねぇ…
電気・ガス・水道が全く使えなかった被災地の皆様のご苦労、今更ながらに体感しました。
最悪電気が無くても生きていけるとは思いますが、水が無いと死んじゃいますよ…
また、水の供給量がままならない状態で断水地区の火災などが発生したらと思うと、背筋がゾッとする思いです。
そう思うと、電気が無いよりも水が無い状況の方が切実なのではと感じざるを得ません(もちろん優越をつけるつもりはありませんが)。
空から水(雨)が降り続いているにも関わらず、水道からは水が出ないという矛盾した状況はある種シュールな感じもしますね…
命の水
不幸中の幸いだったのが、山形県全域が断水になった訳ではないというところでしょうか。
私の自宅も実家も断水地区でしたが、妻の実家は断水を免れておりましたので、妻と子供達はそちらに退避、そして私の実家も井戸水がありましたし、断水地区にも関わらず普通に水が出たというなんとも不思議な現象が発生したため、私は自分の実家に退避出来ました(妻と子供達は心配でしたが、翌日の業務を考えると自分の実家に退避した方が都合が良かった)。
個人的に1番堪えたのは、お風呂はおろかシャワーすらも浴びれないという、”身を清潔に保つ”行為が困難になるという事です(幸い断水前に水をストックしてましたので、辛うじて洗顔と歯磨きは出来ましたが、いつまで続くかも知れない状況に、身体を洗う行為は憚れました)。
いやー、本当に発狂しそうになりますね。
翌日の私から発せられる漢臭い体臭は、いろんな方にご迷惑をおかけした事でしょう。
「オイニーがツイキー!」
なんて思った方も多々いらっしゃる事でしょう。
心からお詫び申し上げます。
断水後初めて身体を洗ってお風呂に入った時、どこの温泉宿のお風呂よりも最高に気持ちE!と感じましたし、水のある生活とは何て幸せな事なのかと痛感致しました。
ベトナム戦争時のアメリカ兵には、清潔を保つ様にとのお触れが出されていたそうです。
過激なゲリラ戦が展開されたベトナム戦争ですが、そんな時でも清潔を保つという行為が兵の士気を保つための重要なファクターだったのかもしれません(結局地の利を活かしたゲリラ戦にアメリカ軍は敗退するのですが)。
また、医療機器販売を生業とする私らしい事例を申し上げれば、断水地区内の透析クリニックが患者様の安全考慮のため、別地区に転院させたとの話も聞こえております。
人工透析は、全身の血液の不純物を機械的に循環・濾過するもので、透析液を作成するには大量の水が絶対不可欠です。
患者様にとっては正に命を繋ぐ水が絶たれた訳です。
水が無いというのは、何というか人間の尊厳というものが根底から失われる様な気がしてなりません。
今現在、徐々に断水解除のエリアも増えて来ましたが、この先の天気予報はずーっと雨。
浄水場の状況によっては再度断水の可能性もあります。
節水を心掛け、状況が好転するのを祈りながらこのエントリーを結びます。
はい、ずーっと雨…