真面目と不真面目とイケメンとブサメン
昔から見た目で“不真面目”とよく言われます。
「こっちは全力でオシャレしてんだ、ダサ坊!」と思いつつもスルーするスキルも身についてきました。
“真面目”ねえ…
私の本質を見た目だけで判断されてもねえ…
そもそも“真面目”って何???
真面目と不真面目の線引き
先日私の友人で、ウチのバンドのVJ @ALEX69ROCK がとある事をTweetしておりました。
このTweetを見て、同調しつつもふと湧き上がるこんな疑問。
「“真面目”と“不真面目”のボーダーラインって?」
上述した様に、私も彼同様見た目で「チャラチャラしてて“不真面目”」というレッテルを貼られる事が多々あります。
というか、それを言ったらバンドマンなんかほぼ全員同じ事を言われてきた事でしょう。
“真面目”って何なんでしょうねえ?
“真面目”だと幸せなんですかねえ?
でもね、社会的に成功を収めている人が全て“真面目”かと言われれば、決してそうではないハズですし、“真面目”にシコシコ働いている人が全て成功を収めて幸せかと言われれば、決してそうでもないハズです。
よく犯罪のニュースなどでも
「あの人は普段は“真面目”だったのに…」
なんてインタビューも目にします。
“真面目”である事がいい事なのか?
“不真面目”では幸せになれないのか?
そもそも“真面目”と“不真面目”の境界線って何なんでしょう?
“真面目”の定義って何なんでしょう?
話はズレますが、面白いお話を。
スイスの研究者より昨年発表された非常に興味深い研究があります。
これはイギリスの権威ある医学雑誌「Proceedings the Royal Society」に掲載されており、ここで紹介したいと思います。
その研究内容は、男性の人差し指と薬指の長さの比率が、男性の“イケメン”度に影響するという、衝撃的な内容でした。
つまり、薬指(D4)の長さと人差し指(D2)比率(D4/D2)が大きい程“イケメン”である、という事なのです。
ちなみに下図は紛れもない私の手なのですが、これを見て改めて自分が“イケメン”であるという事を再認識しました。
またこの研究によると、“女性を惹きつける声”と“体臭 : フェロモン?”は無関係であるとの事でした。
と、いい気分に浸っていたのも束の間、一つの疑問が浮かんできました。
「“イケメン”の定義はどうなっているのか?」
「国によっても“イケメン”の定義は同じなのか?」
「個々の女性によっても“イケメン”の定義が違いはしないか?」
といった、非常に単純な疑問です。
いつもお世話になっているGoogle先生に聞いてみても、“イケメン”の国際的な定義を見つける事は困難でした。
つまり、世の中の男性諸君にとって非常に重要なこの臨床試験を世界中で施行し、その結果を人類で共有するためには“イケメン”の“Global Standard Definition(国際標準定義)”が重要になってくるのです。
この例のように、例え素晴らしい臨床試験が施行されたとしても、エンドポイントの定義が統一されていなければ、その結果を人類万人に応用する事は出来ないという事が言えるのです。
話を戻して“真面目”と“不真面目”。
この相対するイメージも、非常に曖昧です。
国によっても、個々によっても、それこそ評価する人の気分によっても”真面目”と“不真面目”の定義が変化します。
さらに、例えば私個人にしても、ある一面では“不真面目”ですが、別の面では“真面目”、なんていう具合に、“真面目”と“不真面目”が絡み合って一個人が形成されています。
“真面目”と“不真面目”の定義、これもGoogle先生に聞いてみましたが、これといった回答を見つける事は出来ませんでした。
であればと、iPhoneで人気の辞書App “大辞林”で調べるとこんな結果。
なんか釈然としない内容でしょう?
まじめ 0【《真面目》】
(名・形動)文ナリ
①本気であること。真剣であること。また,そのさま。「━な顔になる」「━に働く」
②誠意のこもっていること。誠実であること。また,そのさま。「━な人」「━な人柄」
派生━ さ(名)ふ まじめ 2【不《真面目》】
(名・形動)文ナリ
まじめでない・こと(さま)。「━な態度」
派生━ さ(名)大辞林 第三版
先にも申しましたが、結局人というのは、“真面目”な面と“不真面目”な面が複雑怪奇に絡み合って人格形成されている生物なのだと思います。
そして対人関係においても、“真面目”さが良しとされる局面もあれば“不真面目”さが良しとされる局面も存在します。
つまり、一個人において“真面目”と“不真面目”は同居しており、決して定義付けする事と線引きする事が出来ないという、私なりの考察と結語なのですが、皆さんはいかがお考えになるでしょう?
クソ真面目だけではつまらない。
でも不真面目だけでは社会に認めてもらえない。
“真面目”と“不真面目”、一個人にどちらも備わっているから人生が楽しく豊かで味わい深いモノとなる。
出来る事なら“大真面目”に“不真面目”をやって、笑って過ごしたいですね。
追伸
こないだ35歳を迎え、“大真面目”に“不真面目”やってるアタクシ。