play for japan 〜東日本大震災を経て〜

2011年3月11日14時46分、三陸沖で発生したM9.0の大地震。
気象庁発表によるM9.0は地震の規模としては1923年(大正12年)の関東大震災のM7.9を上回る日本国内観測史上最大、アメリカ地質調査所(USGS)の情報によれば1900年以降、世界でも4番目のものとなった。
日本人が今まで経験した事の無い地震により、現在日本は未曾有の危機に瀕している。
今私達に出来る事は何なのだろうか?






※先にお断りしておきますが、私は自身がどこで地震を体感してこの10日間どのように過ごしたかを書くつもりは全くありません。
それを書いても私のエゴにしかならないと思うし、この記憶は心の中で忘れなければそれでいいと思う、私の倫理観によるものですのでご了承願います。


想像だにしなかった未曾有の被害

誰しもがそうだと思うが、正直自分が生きている間にこれだけの地震を経験する事になるとは全く想像だにしなかった。
1995年の阪神・淡路大震災を経験された方には大変申し訳ないが、あの時はどこか絵空事というか、現実に起こっている出来事だとは思えない自分がいた(1995年当時私は高校生だったため、そういった事象に対する認識がまだまだ甘かったのかもしれない)。
しかし、今回の地震はあまりにも重く、あまりにも痛々しい。
“惨状”と安易に書いてしまうのが憚られる程に、東日本は、いや、日本は瀕死の重傷を負ってしまった。

今、日本中で様々な救援活動が行われようとしている。
Twitter上でも、個人レベルで「何かしよう」という方が沢山いらっしゃる。
もちろん私もそのうちの一人であるし、実際に自分が出来る事をやっているつもりだし、今後もやっていくつもりだ。
「私達が出来る事」
いったい何があるだろう?
実際に個人レベルでいろんな方のいろんな動きがある。
各々に考えがあり、ストーリーがあり、導き出した答えであろう。
その動きや活動を批判するつもりは毛頭ない。
むしろ、このような超急性期に動き出せる行動力は尊敬に値する。

「私達に出来る事」
何か最善なのか、考えれば考える程堂々巡りになってしまう。
ここから以下は、私なりに考えた末の結論になる。
異論があれば、ぜひともコメントを残して欲しい。


「生きる事」

今回の大震災で犠牲になってしまった方々には大変心苦しいのだが、私達は生き残った。
そしてこれからも生きてゆかなければならない。
自分都合で申し訳ないが、被災者の方々のお役に立てるような事をするには、まずは自分自身の生活基盤がしっかりしていなければならない。
Twitter上では「経済をブン回す」という言葉が目立つ。
経済を回す事は確かに日本にとって重要だ。
しかし、自分の生活基盤がしっかりしているからこそ、消費をして、結果経済を回す事が出来る。
人間誰しも、自分が一番大事だ。
そう思うのは全く悪い事ではなく、至極当然の事だと思う。
自分の生活基盤が揺らぐ様な時に、他者に目を向ける余裕はない(看護・介護職などの仕事であれば話は別であるが)。
だからこそ、生き残った私達は、しっかり生きてゆかなければならない。


「我慢する事」

地震直後の停電。
そして福島第一原子力発電所の状況が一進一退の様相。
そのため、関東圏では計画停電を実施している(東北でも計画停電予定であったが、現在は回避されている)。
地震直後の一昼夜に渡る停電で、電気のある「普通」の生活に依存しまくっていた自分に愕然とした。
そして、今現在ガソリンなどの燃料や食料が枯渇している。
ガソリンを求めて深夜からの行列が出来、食料に至っては「買い占め」も起こっている。
買い占めしている”お嬢様方”にその理由を問うと、「なんとなく」という答えが一番多いそうだ。
情けない。
浅ましい。
被災者の方々に送ってあげようという気持ちはないのだろうか?
話が脱線してしまったが、震災前の「普通」はもう戻って来ない。
これからは、これからの「普通」を自分達で模索して探していかなければならない。
そのためには、「我慢する事」が必要だと思う。
我慢する事は、被災者の方々のタメではない。
自分達の生活のタメ。
自分達の「普通」を自分達で構築するために「我慢する」事が必要なのではないだろうか?

※下図はTwitter上で話題になった「みんなで分け合えば、できること」というポスターです。
このポスターを作ったのは、広告、カタログのグラフィックデザイナーである、松本隆応さん(@stam_mats2)。
買い占めする”お嬢様方”への提言です。


「笑う事」

「こんな大事に何を不謹慎なっ」と思われるかもしれない。
しかし、まずむやみやたらと「不謹慎」という言葉を使うのをやめないか?
「不謹慎」と思われる行動やコメントで救われる人だっているのだから。
そして、「笑えない状況だからこそ笑顔でいる事」ってすごく大事な事の様に思う。
日本は資本主義国。
お金であったり物資が豊富な事が何よりも幸せとされてきた。
でもさ、それって本当に幸せな事なのかな?
幸せの基準は人それぞれ違うが、少なくともお金がなくとも幸せを感じる事が出来るし、モノが無くたって幸せを感じる事が出来る。
誰かのBlogを読んで、強烈に印象に残った一節がある。
「人は幸せだから笑うのではない。笑うから幸せになれるのだ。」
その通り。
皆が皆、仏頂面で幸せになれるだろうか?
何度も言うが、「笑えない状況だからこそ笑顔でいる」
笑顔でいるから、被災者の方々も、そして我々自身も救われるのではないだろうか?


「忘れない事」

これが一番大事な事ではないかと思う。
地震が発生してからまだ10日。
今は日本中の、いや、世界中の関心や善意が被災地に向けられている。
今はいいんだ。
しかし、復興までには何年間、もしかしたら10年以上の時間が必要と言われている。
被災地が真の意味で復興しようという時に、世間の関心が風化してしまっていたら復興出来ない。
私も含めて、決してこの大震災を忘れる事なく、風化させる事なく、常に意識していかなければならないと思う。


今できることと将来できること

結局、私が今具体的に出来る事は「物資・金銭での支援」「我慢」くらいしか出来ない。
今は急性期であるし、プロに任せる期間だから。
素人ボランティアなど、現場に混乱を来すだけだしね。
実際に募金もしたが、本当に自分は無力だという事を実感させられた。
でも、私以外にもこう思っている方は大変多いのではないだろうか?
陳腐な言い方だが、1人の力は微々たるモノでも、皆が力を合わせればきっと復興出来る。
日本人はいろんな出来事から見事に復興してきた過去がある。
日本人らしく、また復興出来ると切に信じてこのエントリーを結ぶ。