死ニ方用意 〜笈摺始めます〜
祖母の葬儀が終わって一週間、ようやく落ち着いてきました。
人は生まれてきた以上、必ず最期が訪れます。
皆さんは自分が最期を迎えた時の用意ってやってるもんですかね?
祖母を送り出した際、僕もそろそろ「死ニ方用意」しとこうかと思ったことがありました。
祖母に着せたものの中に
親しかった人達皆で白装束を着させてもらい、入棺した祖母。
管笠と草鞋、六文銭を棺に入れたあと、その他に一緒に入れたいものとして、母が自宅から持参した、祖母に馴染み深いものを入れてあげました。
いつも着ていた祖母の割烹着、甘いお菓子の他に見慣れない衣服。
背面に朱印がびっしり押された真っ白な衣服。
母に聞くと、それは笈摺(おいずり)といわれるものだそうです。
笈摺。圧倒的オーラ。
笈摺(おいずり。おいずる、地方によってはおゆずりとも)とは
笈摺
西国の徳道上人や花山法皇が、観世音を背負われ、俗身に笈がふれないようにと清浄な白衣を着けたのがはじまりという。
昔は行脚僧、修験者が巡拝中に「笈」とよばれる経巻、仏具、衣類、食器を入れて背負う脚のついた容器を背負って歩いたが、着物の背が摺り破れないよう、着物の上へ笈摺を着けた。
現在は笈摺はご宝(朱)印をいただき、死後の旅路に着けるものとされている(袖と砥のないもの)。
書き方は背の正面に「南無大慈大悲観世音菩薩」と書き、右に年月日、同行二人、左に住所氏名を記す。最上三十三観音ホームページより引用
僕が無知なだけかも知れませんが、お恥ずかしながら笈摺というものを初めて知りました。
自身の戒名や遺言状、御朱印帳を生前から準備しておくというのはよく聞く話です。
事実祖母は生前、自身の戒名を頂いておりました。
でも笈摺を持っていたのは両親しか知りませんでした。
思い返してみれば、生前祖母は近所の仲の良い方々と泊まりがけで巡礼に行っていました。
山形だけでも最上三十三観音、庄内札所三十三霊場、置賜三十三観音と巡礼の地がありますし、視野を広げると西国巡礼に板東巡礼、秩父巡礼の日本百観音、そして四国遍路までたくさんの巡礼があります。
こつこつと巡礼して押して頂いたであろう祖母の笈摺は不謹慎ながらそれはもう見事の一言。
その朱印の多さと圧倒的な存在感に息を飲みました。
ものすごいオーラを感じました。
聞けばこの笈摺を身に纏うことで、朱印(仏様)が極楽浄土までの旅路を守ってくれるとのこと。
僕が棺に入るときにも、こんな笈摺を身に纏って旅立ちたいと純粋に思いました。
葬儀が終わった後ご住職に笈摺に興味がある旨を伝え、そもそもどうやって笈摺を手に入れたらいいのかをお伺いすると、ご住職が準備して下さるとありがたい言葉があり入手確定。
調べるとインターネットでも販売してたりするんですね(それだと何となく俗っぽい気がするのですが)。
とにかく巡礼と笈摺、始められることになりました。
必ず来るその時のために
このエントリーのタイトルにもなっている「総員死ニ方用意」という言葉は元々、大日本帝国海軍野村貞が使い始めた非正規の号令と言われています。
2005年公開の「男たちの大和/YAMATO」の劇中でも、死地への海上特攻当日、黒板に記された「死ニ方用意」の言葉を見た少年兵達が死ぬ前の準備として心の中にある想いをありのまま吐き出すというシーンがありました。
ある者は母親へ、ある者は幼き弟妹へ、淡い恋の相手へ、婚約者や妻へと、思い思いのままに泣き叫び、心の中で郷里にいる人々にお別れをする、それが「死二方用意」です。
このニュアンスとは若干違うのですが、今年僕は40歳という人生の折り返し地点を迎えます。
年越し早々、骨折という大怪我で長期間床に伏すという経験もして、改めて「死」というものに対して考えるようになりました。
その矢先の祖母の訃報と、祖母が最期に身に付けた笈摺。
僕は特別信心深いとかそういったことはありません。
しかし、いつか必ず来るその時のために、真剣に向き合い何かを残すということを考え始めなければいけないような気がしています。
その手始めに巡礼して笈摺に御朱印を押してもらうというのは、取っ掛かりとしてとても良い。
巡礼といっても、一日で廻りきれるはずもないので、時間を見つけてゆっくりと、旅行気分なライトな感じで巡礼したいです。
今まで御朱印帳に朱印は頂いておりましたが、この辺で真面目に「死ニ方用意」を始めようと思っています。