芸術の秋 〜高木正勝という天才〜
天才っていますよね?
私も自身を天才だと信じて疑っていませんが(←思い上がり野郎)、やっぱり世の中には本物の天才っているんです。
私の人生に多大な影響を与えてくれたと言っても過言ではない孤高の天才。
色彩と音の魔術師、高木正勝。
そんな才能溢れる芸術家のライブを体感してきましたので書き綴ります。
最高だったよ、高木さん。
高木正勝
高木 正勝(たかぎ まさかつ、1979年 – )は、日本の音楽家、映像作家。
京都府出身・兵庫県在住。
自ら撮影した映像の加工やアニメーションによる映像制作と、長く親しんでいるピアノやコンピュータを使った音楽制作の両方を手掛けるアーティスト。
国内外のレーベルからのCDやDVDリリース、美術館での展覧会や世界各地でのコンサートなど、分野に限定されない多様な活動を展開している。
オリジナル作品制作だけでなく、デヴィッド・シルヴィアンのワールドツアーへの参加、UAやYUKIのミュージック・ビデオの演出や、芸術人類学研究所、理化学研究所、Audi、NOKIAとの共同制作など、コラボレーション作品も多数。
2009年のNewsweek日本版で、「世界が尊敬する日本人100人」の1人に選ばれるなど、世界的な注目を集めるアーティスト。Wikipediaより引用
高木さんの作品に初めて触れたのはもう何年前になるでしょうか?
Appleのホームページ上で、Macを使って極上の音楽と映像を作成する高木さんのプロモーションムービーが公開されていたのを閲覧して衝撃を受けたのを覚えています。
初めて高木さんの音楽と映像を見たときには、ひどく感動しました。
高木さんの手から生まれる作品は電子的なのに温かく、先端を行くのに懐かしい。
ビデオカメラを手に世界各地の風景を写した映像は、光や風、空気などその風景の中に感じ取った「色」が加工によって再現され、その「色」を補完する音楽と組み合わされています。
色彩の美しさと、水が流れているような静寂した音と映像は、見ていると胎内にいるような、心地よい感覚におちいります。
初めて高木さんの作品を知ってからかなり時間が過ぎましたが、今だにヘビーローテションで聴いていますし、映像も観ています。
我々バンドメンバー三人全員が高木さんを崇拝しており、彼の作品は我々の創作活動のバイブルのようなものです。
映像と音楽のコラボレーションって、我々が現在のバンドを結成した当時からの永遠のテーマなんですよね。
我々は三人で、無い頭を振り絞ってようやく今のライブスタイルに昇華させたのに、高木さんは一人でそれを易々とやってしまう。
飄々とした出で立ちからも才気が漲っているのを感じます。
いつかは観たい、高木さんのライブ。
彼の作品を直に感じてみたい。
しかしそう思っても高木さんはあまり頻繁にライブを演りません。
いつかは観たい、高木さんのライブ(大事なことなので2回言いました)
願いは叶うものです。
山形くんだりで、高木さんのライブが観れるという情報あり、バンドメンバー全員が嬉々としてチケットゲットしたのでした。
天才の作品に触れる
台風が近づくライブ当日。
早めに行っていい席ゲットしようと、とてもがっつく我々三人。
列を成すお客さんは、東京から来たという方、長野から来たという方、関西弁を操るおねーさんなど、むしろ山形の人の方が少ないのではないか?と思う程、全国津々浦々から高木さんファンの方がいらっしゃっておりました。
いい席取るぜー!
会場は山形県の旧県庁であり県会議事堂だった文翔館の議場ホール。
英国近世復興様式のレンガ造りの建物で雰囲気は抜群。
続々とお客さんが集まる中開場し、無事にいい席ゲット!
グランドピアノと巨大スクリーンというシンプルなステージ。
否が応でも期待が高まります。
ここで高木さんが演ります
当然ながらライブ中は撮影禁止ですが、こんな雰囲気でした。
神秘的。
幻想的。
身悶えしたよ、ホントに。
高木さんはやっぱり本物の天才だった。
圧巻
感動。
ただ感動。
ひたすら感動。
ピアノと映像というシンプルな構成で、温かい音や柔らかい映像なのに、動けなくなるほどのヒリヒリとした緊張感。
感動をうまく伝えることが出来ない自分のボキャブラリーの無さが悔しくなるほどのライブでした。
プロ・アマ問わず、今まで数々のライブを観て、自分でもそれなりに目は肥えていると思っていますが、ここまで心が震え、衝動を突き動かされるライブは初めてです。
色彩と音の魔術師がそこにいました。
圧巻のステージでした。
最近「共感覚」という言葉がよく聞かれます。
数字や音に色を感じたり、形に味を感じたりするのが共感覚。
その感覚がイマイチ理解出来なかったのですが、なんとなく高木さんのライブを観て、共感覚とはこういうことか?と感じることが出来ました。
実際にライブを観て、高木さんはある種の「界面」を描こうとしているのではないか?と思い至りました。
曲になる前の音楽、誰が演奏するまでもない音。
何かが産み落とされる瞬間のひらめきのようなものが漂う連続。
高木さんの映像は、細胞が分裂するかのようなモーションを見せることが多いのですが、「分裂する細胞」を描くのではなく、「分裂」という動的な事柄こそ、高木さんが描こうとしているものなのではないか?と感じました。
いい刺激を受けました。
高木正勝はやはり天才でした。
皆様も秋の夜長に高木さんの作品に触れてみるのはいかがでしょう?
我々は彼のように天才ではないけれど、三人で彼のような独自の世界観を創ろうと固く誓った夜でした。
天才のライブをホルモン屋で振り返ってがっつく天才三人←決して凡人ではないと思いたい