夢 〜凛として立つ〜

1990年代初頭に発生したバブル崩壊。
一旦は景気が回復基調に転じたと思われたが、世界金融危機が顕在化した2008年以降は、バブル崩壊時よりも急激な勢いで世界的な不況となっている。
今現在、私は「日本人」として日本という国で暮らしている訳だが、日々何か得体の知れない閉塞感のようなモノを強烈に感じている。
皆さんもそんな感覚に襲われた事はないだろうか?
夢をみたくとも、全く先行きの見えない時代に対する不安が先立ち、夢などみれないといった方もいるのではないだろうか?






ご存知の方も多いと思うが、私は大の歴史好きであり、NHKの歴史ドラマ好きである。
特に幕末の動乱と明治維新期はたまらない魅力にあふれた時代。
そんな私にとって、昨年の大河ドラマ『龍馬伝』と、3年かけて放送されるスペシャルドラマ『坂の上の雲』は大変楽しませて頂いた(坂の上の雲は今年の年末に第3部が放送予定ではあるが)。
特に坂の上の雲に関しては、中学生の時に司馬遼太郎さんの原本を読んでいたために思い入れも強く、あの世界感・スケール感がもののみごとに再現された素晴らしい作品である。
後世に残る至極の名作と言える。
冒頭の話とドラマの話、いったい何が関係あるのかと思う方もいらっしゃるだろう。
私は今この時代だからこそ、明治時代の人々のような気概を持ち、スケールの大きい夢を持ちたいと心底思うのだ。

明治初年期の日本ほど小さな国はなかったであろう。
産業といえば農業しかなく、人材といえば300年の読書階級であった旧士族しかなかった。
明治維新によって、日本人は初めて近代的な「国家」というものを持った。
ついこの間まで「国」といえば「藩」という意識しかなく、そこにはお殿様がいた。
それが突然「日本と言う国家」を突きつけられた。
誰もが「国民」になった。
不馴れながら「国民」になった日本人達は、日本史上の最初の経験者としてその新鮮さに高揚したに違いない。
社会のどういう階級のどういう階層のどういう家の子でも、ある一定の資格を取るために必要な記憶力と根気さえあれば、博士にも軍人にも教師にもなりえた。
どこにアイデンティティがあるのか、ナショナリティをどう感じればいいのか?
急に野っぱらに投げ出された若者達が、いかに人生を選択し生きていくか?
過酷であるが、逆に捉えれば若者がなんでもできた時代とも言える。
みんな貧しくても勉強家で、努力家で、ピュア。
それも今では信じられない程大きな責任を背負わされ、それを引き受けているからだろうが、スケールがまるで違う。


私は明治時代を「ビギナーズラック」の時代だと捉えている。
まだ何も分かっていない時の方が、人間ストレートな生き方が出来るものだ。
江戸時代以来の封建体制から解放されたばかりの、まだ何にも染まっていない純真無垢な日本人のパワーで日清・日露戦争に勝利し、不平等条約の改正を果たし、いわば「奇跡の世界デビュー」を遂げた。
この段階の日本は良かったんだと言っていいのではないかと思う。
大変だったろうが、今と比べて人々にはもっと夢があった。
現在の日本は上昇期のピークを過ぎて次のステージに入っている。
今の日本人、今の私に必要なモノは日本が国家として成った頃に国民にあったであろう、ストレートなエネルギーなのではないだろうか?

「男の子」にとって、明治という時代はもの凄く魅力的な時代と言える。
世の中はどんどん西洋化していくのに、人々の精神は良い意味で江戸という時代のままな、複雑かつキラキラした時代。
明治の人々の精神性、日本人としての心の世界は、きっと“公”と“私”のバランスが非常に健全だったのだと思う。
“公”の意識・精神を潤沢に持ち、“私”の意識は非常に小さい。
現代はどうだろう?
“私”が大きく、“公”の意識が小さくなり、様々な矛盾や問題を引き起こしている時代と言える。
しかし、戦後の日本には高度経済成長期があった。
その時の日本人の感覚は、比較的明治の人々の感覚と似ていたのではないだろうか?
「自分達が日本を動かしている」
純粋にそう思い、“公”を楽しんでいたのではないだろうか?
どんな時代でもストレートなエネルギーって出せるのではないだろうか?


今の縮小均衡な時代は、確かに夢を持ちにくい時代なのかもしれない。
中途半端に娯楽があり、中途半端に国が守ってくれる時代。
何もかもが中途半端な時代だからこそ、大きな夢が持てない。
保守的になる。
私は今年で34歳を迎える。
もう決して若くはない。
しかし、だからこそ明治の若者のような純粋でストレートなエネルギーを発していきたい。
自分の限界はまだまだだと思っているし、常に自分にそう言い聞かせている。
自分のアイデンティティ、自分がこの世に生まれて来た意味もそろそろ真面目に考え始めている。
人間は成長を辞めたら、退化するだけ。
手前味噌であるが、今後の夢もちゃんと持っている。
しかし、我々の次の世代はどうだろう?
次の世代が大きな夢を持つ事が出来る地盤作りを整えてやるのが、先代である我々の責務であるように思う。
「この時代に生まれたからこそ夢が持てた」
そう次の世代が言ってくれるような事をやっていかなければと切に思う。

私は、明治人のように“公”の中で自分はどうあるべきか、どう振る舞うべきかを常に考え、そして「夢を持ち、凛として立つ」人になりたいと思う。


追伸
このBlog Entryは、私が参加させて頂いているPodcastで、宮崎で活動中の “TORIMIND” さんが主催する “TORIBLO“の「2011 あなたの夢」Vo.4で私自身が発言した内容を再考したものです。